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松山秀明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松山 秀明
福岡ソフトバンクホークス 二軍監督 #74
2023年4月6日、京セラドーム大阪にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県伊都郡九度山町
生年月日 (1967-04-18) 1967年4月18日(57歳)
身長
体重
174 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手三塁手
プロ入り 1989年 ドラフト5位
初出場 1990年6月21日
最終出場 1998年10月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

松山 秀明(まつやま ひであき、1967年4月18日 - )は、和歌山県伊都郡九度山町出身の元プロ野球選手内野手)、プロ野球コーチ。

経歴

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PL学園高校では清原和博桑田真澄KKコンビと同期、3年時には主将を務め、ともにPL黄金期を築いた。1985年春の選抜三塁手として出場。準決勝で渡辺智男を擁する伊野商に敗退[1]。同年夏の選手権では二塁手に回る。この大会は順調に勝ち進み、決勝で宇部商を降し優勝を飾る[2]。この試合でサヨナラヒットを放ち注目を集めた[3]。同期では他に今久留主成幸内匠政博がプロ入りした。

卒業後は青山学院大学へ進学[4]東都大学野球リーグでは同期のエース吉田直喜を擁し、1988年秋季リーグで創部以来106年で初のリーグ初優勝を経験[5]1989年は1年下の奈良原浩と二遊間を組み活躍。同年秋季リーグでは、2年下の高校後輩である岩崎充宏(新日鐵名古屋)の好投もあって2回目の優勝を飾る。リーグ通算102試合出場、369打数87安打、打率.236、7本塁打、40打点。ベストナイン(二塁手)2回受賞。

1989年のドラフト会議では、オリックス・ブレーブスから5位指名を受け入団した[6]背番号は現役引退まで「4」から変更が一度もなかった。なかなか一軍に定着できなかったが(一軍出場なしは1991年のみ)1992年にはシーズン終盤の8試合に二塁手、三塁手として先発出場。1995年福良淳一の故障欠場もあって14試合に先発するが、レギュラーには届かなかった。1998年限りで現役引退[6]

1999年から2001年まではオリックス一軍内野守備走塁コーチを務め、2002年阪神タイガース一軍内野守備走塁コーチ、2003年から2004年までは阪神二軍内野守備走塁コーチを務めた[6]

2005年に再び一軍内野守備走塁コーチとしてオリックスに復帰し2011年9月16日以降は三塁ベースコーチから外され、10月29日に来季の契約更新をしないと通告された[7]

オリックスコーチ時代
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて

2012年からは韓国プロ野球起亜タイガースの守備走塁コーチを務めるが、同年限りで契約終了となった[8][6]

2013年からは千葉ロッテマリーンズの二軍内野・守備走塁コーチに就任[9]2015年より一軍内野・守備走塁コーチを担当。2017年10月11日に来季コーチ契約を行わないことを通告された[10]

2017年11月9日、2018年より福岡ソフトバンクホークスの二軍内野守備走塁コーチを務めることが発表された[11]2021年は三軍内野守備走塁コーチ[12]2022年は再び二軍内野守備走塁コーチ[13]2023年は一軍内野守備走塁コーチを務め[14]2024年からは二軍監督を務め[15]、同年ウエスタンリーグ優勝を果たした[16]

現時点では大学を卒業してプロ入り以降、彼の熱心な指導に各球団も評価が高く、一度も現場を離れたことがない[6]

人物

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1985年のドラフト会議読売ジャイアンツから指名がなく、放心状態だった清原に最初に声をかけたのが松山だったという。気分転換にと二人でキャッチボールを行った。この二人は2006年から3年間、選手とコーチとしてチームメイトとなった。

長男もPL学園野球部に所属し、2012年には主将を務めPL学園史上初の「親子主将」となったが甲子園には出場できなかった[17]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1990 オリックス 7 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1992 9 24 20 5 6 2 1 1 13 2 0 0 1 0 3 0 0 3 1 .300 .391 .650 1.041
1993 5 3 2 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0 1 .000 .000 .000 .000
1994 20 25 22 3 6 1 0 0 7 1 3 0 2 0 1 0 0 4 0 .273 .304 .318 .623
1995 46 42 38 16 9 1 0 1 13 4 4 2 1 0 2 0 1 5 1 .237 .293 .342 .635
1996 6 2 2 2 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500 .500 .500 1.000
1997 15 7 7 4 2 1 0 0 3 0 2 1 0 0 0 0 0 2 0 .286 .286 .429 .714
1998 18 6 6 7 1 0 0 0 1 0 2 0 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .167 .333
通算:8年 126 111 99 37 25 5 1 2 38 7 12 3 5 0 6 0 1 15 3 .253 .302 .384 .686

記録

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初記録

背番号

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  • 4(1990年 - 1998年)
  • 74(1999年 - 2011年、2018年 - )
  • 72(2012年 - 2017年)

脚注

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  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ “「マツ、決めてくれ」KKコンビ最後の夏、祈った9回裏”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2018年4月12日). https://www.asahi.com/articles/ASL3P7WN8L3PPLZU001.html 2022年11月22日閲覧。 
  4. ^ OB紹介 プロ野球関係”. 青山学院大学硬式野球部 オフィシャルサイト (2015年4月25日). 2022年11月21日閲覧。
  5. ^ 部紹介 戦歴”. 青山学院大学硬式野球部 オフィシャルサイト (2015年4月25日). 2022年11月21日閲覧。
  6. ^ a b c d e “阪神・岡田新体制 ソフトB・松山秀明2軍コーチ招へいへ 失策過多で守備強化に白羽の矢”. スポーツニッポン (毎日新聞グループホールディングス). (2022年10月4日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/10/04/kiji/20221004s00001173076000c.html 2022年10月4日閲覧。 
  7. ^ 【オリックス】松山コーチと契約更新せず”. 日刊スポーツ (2011年10月29日). 2011年10月29日閲覧。
  8. ^ プロ野球・起亜 高橋三千丈氏ら日本人3コーチ入団”. 聯合ニュース (2011年11月15日). 2011年11月15日閲覧。
  9. ^ 松山秀明氏 二軍内野・守備走塁コーチ就任のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2012年11月4日). 2012年11月4日閲覧。
  10. ^ コーチ契約について - 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト 2017年10月11日
  11. ^ 2018年コーチングスタッフについて”. 福岡ソフトバンクホークス公式サイト (2017年11月9日). 2017年11月9日閲覧。
  12. ^ コーチ担当変更のお知らせ”. ソフトバンクホークス オフィシャルサイト. 2020年12月3日閲覧。
  13. ^ 2021/11/01(月) プレスリリース 2022年 コーチングスタッフについて”. 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト (2021年11月1日). 2022年11月22日閲覧。
  14. ^ 2022/10/21(金) プレスリリース 2023年 コーチングスタッフについて”. 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト (2022年10月21日). 2022年11月22日閲覧。
  15. ^ ソフトバンクのコーチ陣発表 計33人の豪華スタッフ…奈良原ヘッド、松山2軍監督”. Full-Count (2023年11月1日). 2023年11月2日閲覧。
  16. ^ 【ソフトバンク】親子Vだ!2軍が2年連続15度目ウエスタン優勝 リチャード18号決勝3ラン”. 日刊スポーツ (2024年9月27日). 2024年9月28日閲覧。
  17. ^ PL初の「親子主将」松山で圧勝 父は元オリ秀明氏

関連項目

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外部リンク

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