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東芝ワイドワイドサンデー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東芝ワイドワイドサンデー
ジャンル ワイド番組
放送方式 生放送
放送期間 1970年3月15日 - 1972年6月25日
放送時間 日曜日 12:30 - 17:00
放送局 ニッポン放送
パーソナリティ 世志凡太
川口まさみ(ビーバー)
押阪忍
横山瑛子
黒澤久雄
菊池貞武
坂本九
小野ひずる
ディレクター 上野修
提供 東京芝浦電気
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東芝ワイドワイドサンデー(とうしばワイドワイドサンデー)は、ニッポン放送で、1970年3月15日から1972年6月25日に生放送していたワイド番組である。東京芝浦電気(現・東芝)の一社提供。

概要

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毎週日曜日12:30~17:00まで4時間30分生放送されていた長時間ワイド番組。当時東京銀座西銀座デパート内に在った「西銀座サテライトスタジオ」から、リクエスト、クイズ、レポート、電話トークコーナーなど様々な企画を盛り込んで放送されていた。また時々特別企画(下述)を放送、プロ野球全国高等学校野球選手権大会選抜高等学校野球大会マラソン大会などの各中継も随時この枠で行われていた。

坂本九をパーソナリティとして起用する際、所属のマナセプロダクションに「毎週10時にスタジオ入りしてと伝えて欲しい」と問い合わせたところ、「契約は12時からになっているので、30分前に入ればいいのではないか」と返されて譲らず、最後には制作部長が中に入って、ディレクターを務めていた上野修に「君も出演者としてスタジオに入って、随時打ち合わせしながら放送して行ったらいいのではないか」と提案して妥協し、上野自身が坂本の共演者として出演していた[1]

なお、本番組が放送開始される約4か月前から、大阪ABCラジオでも同じタイトルで同時間帯に放送されていた番組『東芝ワイドワイドサンデー〜あなたとつくる365分〜』が本番組と同時期(1969年11月9日~1972年9月24日)に放送されていた。

パーソナリティ

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1970年3月15日~1970年8月30日
1970年9月6日~1971年1月31日
  • 黒澤久雄
  • 菊池貞武(ニッポン放送アナウンサー)
1971年2月7日~1972年6月25日

主なコーナー

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1970年
  • マラソン電話リクエスト
  • 街角ジョッキー
  • 銀座ワイ・ワイクイズ
  • 心理テストコーナー
  • ワイワイ草野球実況中継
  • 赤ズキン捜し大作戦
  • オークション電話リクエスト
  • キーワード電話リクエスト
  • 山手線ルーレット電話リクエスト
  • 銀座ワイ・ワイ・ビレッジ
1971年
  • 九ちゃんと話そう 何でも電話
    (テーマに沿ったコメントを募集していたコーナー)
  • ショップ・ジャック
  • 高砂やレポート
    (結婚式場を一つ選び、その会場からレポート)
  • テレフォンアンケート
  • 電話ティーチイン
  • オールニッポン電話リクエスト選手権
  • ワイワイ三角くじ
  • お名前総点検
  • ワイワイフォーク
  • 九ちゃんが選んだベスト20
  • おめでとう九ちゃん
  • 子どもショー・みんなで歌おう 子どものど自慢
  • アマチュアのど自慢
  • 沖縄ホットライン
    (1971年10月から放送。沖縄返還直前の沖縄の模様をリポート。出演者は山口マリ子、美波はるみ、金城宏安)
  • サッポロ・ホットライン
    (1971年12月から放送。1972年札幌オリンピック開催直前の札幌の模様をリポート。出演は枝並国勝(札幌テレビ放送アナウンサー))
1972年
  • 銭ゲバクイズ
  • 君の名は

この他「競馬中継」「ラジオカー情報」「セスナ情報」「ハイウェイ情報」「タウンレポート」などを随時放送。

  • (出典:[2]

特別企画

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  • 万歩大行進実況中継(日本橋荒川土手間、1970年4月19日)
  • 春うららフィッシングスクール(1970年4月26日)
  • ウォータースライダーコンテスト、タグボートコンテスト(1970年7月5日)
  • 津久井浜シーサイドスタジオ(1970年7月12日~7月26日)
  • 富士志摩・銀座 三元中継(1970年8月2日)
  • '70合歓ポピュラーフェスティバル中継(1970年11月8日)
  • 東京国際歌謡音楽祭中継(1970年11月22日)
  • フォークソング出初式(1971年1月3日)
  • 人気マンガ'71大行進(1971年1月10日)
  • 糸居五郎 50時間マラソンジョッキー(1971年1月17日)
  • サヨナラ・タイガース・ショー(1971年1月24日)
  • 羽田空港から生放送(1971年1月30日)
  • こんにちは沖縄 沖縄 - 鹿児島 - 東京 三元生放送(1971年7月18日)
  • 合歓ポピュラー祭中継(1971年10月3日)
  • 特集・多元中継 明日かえる沖縄(1972年5月14日)
    (出典:[2]

脚注

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  1. ^ 上野修 著『ミスター・ラジオが通る』実業之日本社、1986年6月20日、108頁。NDLJP:12276169/57 
  2. ^ a b 当時の各新聞ラジオ欄(1970年3月15日~1972年6月25日)より。
ニッポン放送 日曜日 12:30~17:00枠
前番組 番組名 次番組
サンデーダークダックス
(12:30 - 13:00)
ミュージックデート
(13:00 - 13:30)
志ん生寄席 首ったけ
(13:30 - 14:00)
歌謡ジャーナル
(14:00 - 14:30)
カントリーポップス
(14:30 - 15:00)
サンデー歌謡リクエスト
(15:00 - 16:00)
ドライブ・ミュージック
(16:00 - 16:30)
日曜ラジオ劇場
(16:30 - 17:00)
東芝ワイドワイドサンデー
集まれ!ロック・イン
(12:30 - 13:00)
日曜競馬ニッポン
(13:00 - 16:30)
コッキーポップ
(16:30 - 17:00)