李行
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李行 | |||
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2019年 | |||
基本情報 | |||
中国語 | 李行 | ||
漢語拼音 | Lǐ Xíng | ||
出生名 | 李子達 | ||
生誕 |
1930年6月16日 中華民国上海市 | ||
死没 |
2021年8月19日(91歳没) 中華民国台北市 | ||
国籍 | 中華民国 | ||
英語名 | Li Hsing、Lee Hsing | ||
受賞
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李行(リー・シン、1930年6月16日 - 2021年8月19日)は、中国上海生まれの台湾の映画監督。本名は李子達[1]。
経歴
[編集]1930年6月16日、上海生まれ[2]。1948年に一家で台湾に移り住んだ[2]。台湾省立師範学院に入学し、そこで演劇に携わった[2]。いくつかの映画に出演したのち、1957年に『追兇記』で助監督をつとめる[2]。1959年の『王哥柳哥游台灣』で初監督[3]。1963年の『街頭巷尾』以降、中央電影公司の「健康写実路線」を担った[2]。また、70年代には、瓊瑤原作の映画で知られた[2]。70年代末からは「郷土写実路線」に回帰した[2]。1978年の『生きてる限り僕は負けない』は、中国大陸でも上映された[3]。金馬奨で監督賞を3度、作品賞を7度獲得しているほか、1995年には金馬奨の生涯功労賞が贈られた[4]。1990年代以降は監督業からは離れるが、台湾と中国大陸の映画界の交流に尽力した[3]。2021年、心不全により台北で死去[3]。
フィルモグラフィー
[編集]- 王哥柳哥遊台灣(1959年)
- 豬八戒救美大戰金錢豹(1959年)
- 武則天(1961年)
- 王哥柳哥好過年(1961年)
- 王哥柳哥過五關(1962年)
- 白賊七(1962年)
- 金鳳銀鵝(1962年)
- 兩相好(1962年)
- 白賊七續集(1962年)
- 新妻鏡(1963年)
- 街頭巷尾(1963年)
- 蚵女(1964年)
- 養鴨人家(1965年)
- 婉君表妹(1965年)
- 啞女情深(1965年)
- 英雄烈女(1966年)
- 貞節牌坊(1966年)
- 路(1967年)
- 日出,日落(1967年)
- 情人的眼淚(1969年)
- 玉觀音(1969年)
- 群星會(1970年)
- 喜怒哀樂(1970年)
- 母與女(1971年)
- 愛情一二三(1971年)
- 秋決(1972年)
- 風從哪裡來(1972年)
- 心有千千結(1973年)
- 彩雲飛(1973年)
- 婚姻大事(1974年)
- 海鷗飛處(1974年)
- 大三元(1974年)
- 海韻(1974年)
- 吾土吾民(1975年)
- 浪花(1976年)
- 碧雲天(1976年)
- 風鈴,風鈴(1977年)
- 白花飄雪花飄(1977年)
- 『生きてる限り僕は負けない』汪洋中的一條船(1978年)
- 早安台北(1979年)
- 小城故事(1979年)
- 又見春天(1980年)
- 原鄉人(1980年)
- 龍的傳人(1981年)
- 『大輪廻』大輪迴(1983年)第二話
- 細雨春風(1984年)
- 唐山過台灣(1986年)
受賞
[編集]- 金馬奨
- 最優秀作品賞
- 『養鴨人家』『路』『秋決』『吾土吾民』『生きてる限り僕は負けない』『小城故事』『早安台北』[1]
- 監督賞
- 『養鴨人家』『秋決』『生きてる限り僕は負けない』[1]
- 生涯功労賞
- 最優秀作品賞
- アジア映画祭
- 最優秀作品賞
- 『玉觀音』[1]
- 最優秀作品賞
脚注
[編集]- ^ a b c d 今年8月に死去の巨匠・李行監督に「褒揚令」、国への貢献称える TAIWAN TODAY 2024年1月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g 李行導演(1930-2021) 生平大事紀 國家電影及視聽文化中心 2024年1月20日閲覧。
- ^ a b c d 紀念|導演李行:傳統文化的堅守者,兩岸交流的推動者 每日頭條 2024年1月20日閲覧。
- ^ 【名導李行辭世】3獲金馬最佳導演獎 電影大師李行病逝享耆壽91歲 鏡週刊 2024年1月20日閲覧。