戸田貞三
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人物情報 | |
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生誕 |
1887年3月6日 日本 |
死没 | 1955年7月31日 (68歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 社会学 |
研究機関 | 東京帝国大学、東洋大学 |
戸田 貞三(とだ ていぞう、1887年3月6日 - 1955年7月31日)は、日本の社会学者、東京帝国大学名誉教授。家族社会学専門。
経歴
[編集]1887年生まれ。1912年、東京帝国大学文科大学哲学科社会学専攻を卒業。
1920年、母校である東京帝国大学文学部講師に着任し、同年より欧米に留学。1922年10月に帰国。東京帝国大学文学部助教授に昇進。1929年、東京帝国大学文学部教授に昇進。1932年11月、東京帝国大学に国粋主義系学生による研究団体「帝大満蒙研究会」が創られると、その責任者を務めた[1]。
戦後、1945年(昭和20年)11月、文部省が設置した公民教育刷新委員会の委員に就任[2]。 1947年に東京帝国大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は東洋大学教授として教鞭をとった。
研究内容・業績
[編集]- 家族社会学を専門とした。その著作は著作集としてまとめられており、全14巻ある。
- 家族を社会制度としてとらえるのではなく少数集団単位でとらえた家族社会学者である。1920年の国勢調査をきっかけにすでに日本の家族形態80%以上が核家族であることを突き止め、家族形態は夫婦と未婚の子どもによって構成されるが、2世帯住型の直系家族傾向も持っているとした。また「世帯」の概念を本格的に導入した社会学者としても有名である。
- 弟子に牧野巽、清水幾太郎[3]と服部之総[4]と喜多野清一[5]がいる。
著作
[編集]著書
[編集]- 『私有財産問題』 冬夏社 1922 (現代社会問題研究 第7巻)
- 『家族の研究』 弘文堂書房, 1926
- 『社会学講義案』 第1-2部 弘文堂書房, 1928-33
- 『農村問題叢書』 第6輯 農村人口問題 日本青年館, 1933
- 『社会調査』 時潮社, 1933
- 『家族と婚姻』 中文館書店, 1934
- 『家族構成』 弘文堂, 1937
- 『家の道 文部省戦時家庭教育指導要項解説』 中文館, 1942
- 『家と家族制度』 羽田書店, 1944
- 『家庭と社会』 印刷局, 1948 (公民叢書)
- 『社会学概論』 有斐閣, 1952 (社会学選書)
- 『家族・結婚』 松尾書店, 1955
- 『戸田貞三著作集』全14巻 大空社, 1993
編著共著
[編集]- 『家族と村落』 第1-2輯 鈴木栄太郎共編 日光書院, 1939
- 『青年学校教科書』 土井不曇共著 文学社, 1941
- 『社会調査の方法』 甲田和衛共著 学生書房, 1949
- 『社会学研究の栞』 中文館書店, 1949
- 『新編人名事典』 国民図書刊行会, 1953
- 『社会病理学』 土井正徳共編 朝倉書店, 1954
記念論集
[編集]- 『現代社会学の諸問題』 戸田貞三博士還暦祝賀紀念論文集 東京大学社会学会編 弘文堂, 1949
戸田貞三に関する研究
[編集]- 『戸田貞三 家族研究・実証社会学の軌跡』 川合隆男 東信堂 2003
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 竹内洋『革新幻想の戦後史』中央公論新社、2011年。ISBN 9784120043000。
- 竹内, 洋『メディアと知識人 - 清水幾太郎の覇権と忘却』中央公論新社、2012年。ISBN 978-4120044052。
学職 | ||
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先代 (新設) |
日本社会学会会長 1940年 - 1952年 |
次代 林惠海 |
先代 宇野円空 |
東京帝国大学東洋文化研究所長 1946年 - 1947年 |
次代 辻直四郎 |
先代 今井登志喜 |
東京帝国大学文学部長 1944年 - 1947年 |
次代 高木貞二 |
その他の役職 | ||
先代 河原春作 社会教育連合会会長 |
全日本社会教育連合会会長 1952年 - 1955年 社会教育連合会会長 1947年 - 1951年 |
次代 金森徳次郎 |
先代 (新設) |
中央調査社会長 1954年 - 1955年 |
次代 長谷川才次 |
先代 大江スミ |
東京家政専門学校長 1948年 - 1950年 |
次代 武部欽一 |