コンテンツにスキップ

徳島中央公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳島中央公園
中央公園お花見広場の花見
徳島中央公園の位置(徳島県内)
徳島中央公園
分類 総合公園
所在地
座標 北緯34度04分30.8秒 東経134度33分18.3秒 / 北緯34.075222度 東経134.555083度 / 34.075222; 134.555083座標: 北緯34度04分30.8秒 東経134度33分18.3秒 / 北緯34.075222度 東経134.555083度 / 34.075222; 134.555083
面積 20ha
駐車場 東側駐車場:90台、西・南駐車場:119台
告示 1906年明治39年)1月9日
テンプレートを表示

徳島中央公園(とくしまちゅうおうこうえん、Tokushima Central Park)は、徳島県徳島市徳島町城内(一部南前川町)の、城山とその周辺に広がる徳島城跡を利用した公園である。1906年に開設された。

旧称・通称徳島公園

概要

[編集]

徳島市のほぼ中心、徳島駅の北方の助任川沿いに位置する。旧徳島城の大半を敷地とするが、江戸時代の徳島城はより広く、現徳島町城内のほぼ全域を占めていた。また逆に、徳島城には含まれない助任川対岸の助任川河岸緑地も徳島中央公園の管轄である。徳島市内町小学校は、東西北3方を徳島中央公園に囲まれているものの、公園の一部ではない(ただし公園開設時はこの地は園内だった[1])。

中央を城山が占め、城山と堀川により、平地は大きく西・東・南に分かれている(開設時は西区・東区・南区と呼ばれた)。

城山西
徳島市立体育館徳島県立中央武道館徳島市民庭球場などの大規模なスポーツ施設が充実しているほか、幼児・児童用の遊具施設が置かれたエリアもある。かつての西ノ丸運動場徳島刑務所が1970年代の再開発により新たに公園となった地区であり、徳島城の城郭遺構はほとんど失われている。
城山東
堀川上流の水際公園と庭園になっている。この地区もかつては市民会館やテニスコートがあり、城郭遺構は乏しい。
城山南
かつての本城であり、徳島城博物館旧徳島城表御殿庭園鷲の門など主要な観光施設があるほか、広場や城郭遺構も多い。平成になってから、鷲の門復元・数寄屋橋の木橋化など、往時の姿を取り戻そうとする動きがある。城山南麓にはSLが静態保存されている。
城山
徳島市指定天然記念物である城山原生林などの自然に触れることができる。数方向からの登山道が設けられており、山頂がある本丸跡まで登ることができる。

かつての蜂須賀桜を偲ぶべく随所(特に南部のお花見広場)にが植えられており、花見の時期などになると多くの人で賑わう他、4月~7月頃にかけては8月の本番に向けた阿波踊りの練習が公園内の各所で行われている。城山を一周するランニングウォーキングコースがある。

園内各地に「徳島彫刻集団」による彫刻が野外展示され、毎年交換されている。

徳島市内町小学校には卒業時、徳島中央公園敷地内にタイムカプセルを埋める習慣がある。

用地のほとんどは市有地だが、一部は財務省管轄の国有地である[2]。住民はほぼいないが、数件ある売店を営む数世帯が住む。

呼称

[編集]

徳島公園として開設したが、1977年徳島中央公園に改称した。

「徳島城址を愛する会」による「徳島城公園」または「徳島城址公園」への改名運動がある[3]

歴史

[編集]

開設

[編集]

1906年開設。本多静六本郷高徳の設計による。彼らは日比谷公園の設計も手がけており、徳島公園は日比谷公園に次ぐ日本で2番目の西洋風公園となった[3]。当初の面積は18.5ha(現在は20ha)で、広さは日本で5指に入った[3]

現在は公園に含まれない西の丸跡(現内町小学校[1]物産陳列場(現文化センター[4]を、公園内の施設だったとしている資料もある。

年表

[編集]

公園内の施設

[編集]

なるべく、城山を中心とし東→南→西と時計回りに記載する(最後に城山)。

主要施設

[編集]

広場・庭園

[編集]
  • 親水広場 - 城山東(助任川河岸)。
  • 菖蒲園 - 城山東。
  • バラ園 - 城山東。
  • お花見広場 - 城山南。
  • 鷲の門広場 - 城山南。
  • 棚 - 城山南。
  • 本丸跡 - 城山。
  • 助任川河岸緑地 - 助任川対岸。

管理施設・インフラ

[編集]
  • 公園管理事務所 - 城山東。
  • 駐車場 - 城山東・城山西。
  • ゴミ分別施設 - 城山南(県立図書館跡)。公園内のゴミ・不要物を一時保管・分別する。
  • 西の丸配水場 - 城山西(西の丸コート地下)。
  • 城山配水池 - 城山(西三の丸跡地下)。

自然物・遺跡

[編集]

記念碑・像

[編集]
  • 海野十三文学碑 - 城山東。1962年5月17日設置(初代)[6]、1993年7月17日に「海野十三の会」により新設(二代目)[6]。初代の碑は渭東コミュニティセンター前に移築[6]
  • 父の像 - 城山東。1973年12月設置。坂東文夫作。
  • 鳥居龍蔵記念碑 - 城山南。1953年11月3日設置。
  • 頌聖碑・御製碑 - 城山南(表御殿庭園内)。
  • 海軍戦没者意慰霊碑 - 城山南。1995年設置。
  • 子供平和記念塔(小便小僧) - 城山南。1948年11月3日設置、1995年改修。小便小僧は稼動していない。
  • 行幸記念碑 - 城山南。1950年3月26日設置。
  • 「阿波の徳島 蜂須賀さまの今にのこせし阿波踊り」記念碑 - 城山南(お花見広場)。2001年8月11日設置。
  • 蜂須賀家政像 - 城山南。1965年1月1日設置。
  • 井上羽城歌碑 - 城山南。1962年7月4日設置。
  • 西部ニューギニア戦没者慰霊碑 - 城山西。1995年4月15日設置。
  • 徳島戦災犠牲者慰霊塔- 城山(東二の丸天守跡)。1955年7月4日設置(徳島大空襲10周年)。
  • 殉難警察官吏消防組員招魂碑 - 城山。
  • 徳島県外地引揚者慰霊碑 - 城山。1970年8月15日設置。

記念物等

[編集]
  • 大日本駆逐艦追風記念マスト(軍艦マスト) - 城山南(太鼓櫓跡上)。駆逐艦追風のマストを1932年に移設。
  • ラジオ塔 - 城山南(太鼓櫓跡上)。1933年設置。
  • SL展示場 - 城山南。8620形の68692号が静態展示されている。
  • 清玄坊神社 - 城山(本丸跡内)。徳島城築城前から続く神社だが、現在は石碑のみである。
  • 午砲跡 - 城山(本丸跡内)。
  • 四等三角点「城山」 - 城山(本丸跡内)。

水路・池

[編集]
  • 泉の池・流れの池 - 城山東(堀川上流)。
  • 堀川 - 城山東~城山南。
  • 心字池 - 城山南(表御殿庭園内)。
  • 弁天池(蓮池) - 城山南。
  • 寺島川 - 城山西~城山南。

[編集]
  • 数寄屋橋 - 城山南(不浄門跡)から堀川を越え徳島町2丁目に通じる。
  • 下乗橋(旧小見付橋) - 城山南で堀川を越える(園内)。
  • 城の内橋(剣先橋跡) - 城山南から寺島川・牟岐線を越え寺島本町東1丁目・幸町1丁目(徳島駅前方面)に通じる。
  • 徳島中央公園歩道橋(前川橋水管橋) - 城山西から助任橋を越え、助任川河岸緑地と結ぶ(園内)。

登山道

[編集]
  • 東登口 - 城山東から。
  • 旧表参道 - 城山南から。
  • 旧裏参道 - 城山南から。
  • 西登口 - 城山西から。

城郭遺構

[編集]
  • 石垣 - 公園内各地。
  • 月見櫓跡 - 城山南。
  • 太鼓櫓跡 - 城山南。
  • 舌石 - 城山南。寺島川の石垣に残る。
  • 西二の丸跡 - 城山。
  • 東二の丸跡 - 城山。
  • 天守跡 - 城山(東二の丸跡内)。
  • 張櫓跡 - 城山。
  • 弓櫓跡 - 城山。

かつて存在した施設

[編集]

移転改名等して現存する施設を含む。廃止または転出順。

  • 滴翠閣 - 1907年以前~1928年。演武道場・公会堂。のちの千秋閣に建てられたが、1907年移築、1928年武徳殿に。
  • 西の丸跡 - 開園ごろ~1929年。広場だったが、西ノ丸運動場となった。
  • 記念標 - ?~1942年。
  • 蜂須賀正勝像 - 1910年~1943年。戦時供出。現在は蜂須賀家政像。
  • 午砲 - 1916年~1943年ごろ。戦時供出。現在は午砲跡として台座のみ残る。
  • 千秋閣 - 1907年~1945年。戦失。跡地は進駐軍諸施設に。現在は表御殿庭園徳島城博物館の一部。
  • 物産陳列場 - 1907年~1945年。1909年より徳島県物産陳列場、1920年より商品陳列所、1934年より島県立物産販売斡旋所。戦失。現在は建物があった位置は文化センター、前庭は鷲の門広場。
  • 武徳殿 - 1928年~1945年。戦失。跡地は市民会館を経て現在はバラ園。
  • 進駐軍民間諜報部 (CIC) - 1946年~1951年ごろ。千秋閣跡に移転、講和後に閉鎖。
  • 憲法記念館 - 1949年~1953年以前。光慶図書館跡に県立図書館が再建されるまであった。
  • 剣先橋 - 1907年~1960年ごろ。寺島川埋め立てに伴い撤去。代わって歩道橋「城の内橋」が架設。
  • 市民会館 - 1953年~1978年ごろ。城山西に徳島市立体育館として移転。跡地はバラ園。
  • 子供の国 - 1928年~?。遊園地・動物園。跡地はバラ園。
  • 徳島市立図書館 - 1952年~1981年。千秋閣跡のACC徳島分校内に開館、1958年城山南の月見櫓跡北側に移転、1981年公園外に移転。
  • 徳島市中央公民館 - 1960年~1981年。市立図書館に併設して開館、共に移転。
  • 徳島県立武道館 - 1960年~1988年。城山西に移転し徳島県立中央武道館となる。跡地は東駐車場。
  • 徳島県立図書館 - 1917年~1990年。徳島県立光慶図書館として開館、戦失するが1953年同地に県立図書館として再建。1990年徳島県文化の森総合公園へ移転。跡地はゴミ分別施設。
  • 海野十三文学碑 - 1962年~1993年。新設され、古い碑は海野が幼少期を過ごした四所神社前へ移設。
  • 徳島縣護國神社 - 1906年~2002年。1906年園内に遷座(当時 招魂社)、1938年山頂(本丸跡)に遷座、2003年徳島市雑賀町に遷座。現在は水盤のみ残る。
  • 大鳥居 - 1906年?~2002年?。表参道と裏参道の各入口にあった。

助任川河岸緑地

[編集]

徳島中央公園の一部で、新町川水際公園に続く第2弾の親水公園である。「ふるさとの川モデル事業」により徳島県が護岸工事をし、徳島市が公園工事を行 った。助任川沿いには他にも中徳島河畔緑地があり、ともに「美しい日本の歩きたくなるみち500選」選定である。

  • 所在地:徳島市南前川町1–4丁目地先
  • 面積:1万1200 m2
  • 施設:ふれあいひろば、干潟観察園、わんばく広場、せせらぎ広場、寂聴桟橋

「助任川河岸緑地整備事業」で、平成6年度手づくり郷土賞(人々が集い憩う水辺づくり)受賞

画像

[編集]

周辺施設

[編集]

交通

[編集]

参考文献

[編集]
  • 内町まちづくり協議会・徳島市内町公民館『写真で見る内町再発見 ひょうたん島今昔』2009年
  • 「徳島城」編集委員会 編『徳島市民双書 28 徳島城』岡島隆夫「徳島中央公園」徳島市立図書館 1994年

出典

[編集]
  1. ^ a b 河野幸夫『徳島 城と町まちの歴史』1982年 聚海書院
  2. ^ 園内武道館前の掲示
  3. ^ a b c 内町まちづくり協議会・徳島市内町公民館『写真で見る内町再発見 ひょうたん島今昔』2009年
  4. ^ 「徳島城」編集委員会 編『徳島市民双書 28 徳島城』岡島隆夫「徳島中央公園」徳島市立図書館 1994年
  5. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、104頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  6. ^ a b c 【海野十三の文学碑】徳島市内の2カ所に - 徳島新聞 2022年5月11日

外部リンク

[編集]