市橋政信
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時代 | 江戸時代前期から中期 |
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生誕 | 元和9年10月5日(1623年11月26日) |
死没 | 元禄17年1月1日(1704年2月5日) |
改名 | 兵吉(幼名)、政信 |
戒名 | 龍源院殿覚潭玄澄大居士 |
墓所 | 東京都荒川区西日暮里の南泉寺 |
官位 | 従五位下・下総守 |
主君 | 徳川家光→家綱→綱吉 |
藩 | 近江国仁正寺藩主 |
氏族 | 市橋氏 |
父母 | 父:市橋長政、母:小山田茂誠の娘 |
兄弟 | 政信、政直 |
妻 |
正室:板倉重宗の娘(寿香院) 継室:溝口宣直の娘(慈光院) |
子 |
政房(長男、早世)、政勝(四男、病により廃嫡)、信治(五男) 娘(蒔田定次継室)、娘(山崎義方正室) 養子:利政(病により廃嫡)、信直(弟・政直の長男) |
市橋 政信(いちはし まさのぶ)は、近江仁正寺藩の第2代藩主。仁正寺藩市橋家3代。
元和9年(1623年)10月5日、江戸で生まれる。幼名は兵吉。寛永6年(1629年)12月、将軍徳川家光にお目見えする。慶安元年(1648年)6月14日、父が死去したため跡を継ぐ。このとき、弟の政直に近江国蒲生郡内で4,000石(または1,000石)を分与した。同年12月晦日、従五位下下総守に叙任する。駿府城の加番や京都警護などを務めている。
元禄17年(1704年)1月1日、82歳で死去し、跡を甥で養嗣子の信直が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室、継室
子女
養子