川内村 (広島県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かわうちむら
川内村
廃止日 1955年7月1日
廃止理由 新設合併
川内村八木村緑井村佐東町
現在の自治体 広島市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
安佐郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,769
国勢調査、1950年)
隣接自治体 古市町安村、緑井村、八木村、高陽町
川内村役場
所在地 広島県安佐郡川内村大字中調子
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

川内村[1](かわうちむら[2])は、広島県安佐郡にあった。現在の広島市安佐南区川内にあたる。

地理[編集]

太田川と古川に挟まれた中州の北部に位置していた[3]

人口[編集]

1930年刊行の『市町村治績録 改訂第2版』によると、戸数は478戸、人口は2328人[1]

歴史[編集]

  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、沼田郡中調子村、温井村が合併して村制施行し、川内村が発足[2][3]。旧村名を継承した中調子、温井の2大字を編成[3]
  • 1898年(明治31年)10月1日、郡の統合により安佐郡に所属[2][3]
    • 同年、高瀬製糸会社設立[3]
  • 1952年(昭和27年)安佐大橋架橋[3]。高瀬渡し廃止[3]
  • 1955年(昭和30年)7月1日、安佐郡八木村、緑井村と合併し、町制施行し佐東町を新設して廃止された[2][3]

地名の由来[編集]

古市、中須、東野を合わせて川の内五箇ノ荘と称されていたことによる[3]

行政[編集]

村長は以下の通りである。

村長[編集]

  • 倉本恒三郎[1]
  • 中本道平[1]
  • 住居常三郎[1]
  • 丸林亮助[1]
  • 金本七之助[1]
  • 住居常三郎[1]
  • 倉本亮吉[1]

産業[編集]

  • 農業養蚕[3]。『大日本篤農家名鑑』によれば、川内村の篤農家は倉本、横林、平田、住居などがいた[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 『市町村治績録 改訂第2版』広島県24 - 25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月23日閲覧。
  2. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』230頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『角川日本地名大辞典 34 広島県』274頁。
  4. ^ 『大日本篤農家名鑑』広島県148頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月23日閲覧。

= 参考文献[編集]

  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
  • 角川日本地名大辞典 34 広島県』。
  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

関連項目[編集]