川井源八
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川井 源八(かわい げんぱち、1874年〈明治7年〉3月[1] - 1945年〈昭和20年〉6月22日[1])は、日本の実業家。第2代三菱電機会長。
経歴
[編集]福島県耶麻郡、のちの翁島村[1](現猪苗代町)出身[2]。若松中学校(現福島県立会津高等学校)を経て[3]、1894年高等商業学校(現一橋大学)卒業。東京倉庫神戸支店副支配人、東京倉庫大阪支店支配人等を経て、1920年三菱電機代表取締役[4]。1931年から三菱電機常務取締役として退任した武田秀雄前会長に取り替わり社業を統括した。1935年三菱電機取締役会長[5]。三菱電機において消費者向けの家庭用電化製品事業の創設を進め、扇風機、モーターなどの生産の発案や、ショールームの設立などを行った[6]。野口英世記念会理事長なども務めた[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c 福島県 1972, 154頁.
- ^ a b 「日本科学技術の旅 」 都立戸山高校・1956(昭31)年卒業生のページ
- ^ 「新城新蔵博士年譜 」京都大学
- ^ 「川井源八 (男性)」人事興信録データベース 第8版 [昭和3(1928)年7月] (名古屋大学)
- ^ 「沿革」 三菱電機会社経歴書2000
- ^ 和田精二, 大谷毅、「三菱電機のデザイン部門設立に至る経緯 : 企業内デザイン部門黎明期の研究(2)」『デザイン学研究』 2004年 51巻 5号 p.47-54, doi:10.11247/jssdj.51.47_3, 日本デザイン学会
参考文献
[編集]- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年 。
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