コンテンツにスキップ

島田源太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島田 源太郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県
生年月日 (1939-08-25) 1939年8月25日(85歳)
身長
体重
179 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1958年
初出場 1958年
最終出場 1973年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

島田 源太郎(しまだ げんたろう、1939年8月25日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手投手)・コーチ解説者愛称寝ぼけの源おとぼけの源[1]

2021年までの日本プロ野球最年少完全試合(20歳11ヶ月)達成者(2024年現在はセ・リーグ最年少記録)。

経歴

[編集]

気仙沼高校では3年次の1957年夏の甲子園県予選で準決勝に進むが、仙台二高に敗退。卒業後は盛岡鉄道管理局への入社が内定していたが、大毎オリオンズの新人募集広告を目にして、上京して入団テストを受けるが不合格であった。しかし、プロ入りへの夢が捨てきれず、再び家族に黙って上京し大洋ホエールズの入団テストを受験。今度は合格し、テスト生のため契約金なしで入団[2]

1958年は新人ながら、春のキャンプで大きく割れるカーブが注目されて一軍に抜擢される[3]。11試合に登板して2勝を挙げるが、大阪遠征の帰路で、大阪駅プラットフォームでシャドウピッチングをしていたところ、バランスを崩して線路に転落し、右手首を骨折した[3]1959年は8試合に先発して4勝を記録。

1960年には開幕から先発の柱として起用される。8月11日大阪戦(川崎)では、村山実に1-0で投げ勝ち、2022年4月10日佐々木朗希に更新されるまで、史上最年少となる20歳11ヶ月での完全試合を達成する[4]。同年はチーム最多の41試合に先発、秋山登の21勝に次ぐ19勝(10敗)を挙げ、防御率も2.29でリーグ5位に入るなど、球団の初優勝に貢献[5]。大毎との日本シリーズでも2試合に先発、第2戦では勝利投手となりチーム日本一に大きく寄与した。

1961年も9勝を挙げるが19敗と大きく負け越すと、1962年は開幕投手を務めるが6勝13敗に終わり、さらに秋季キャンプで右肩を壊す。その後は、1964年から1966年の3年間で僅か2勝と長く低迷した。

1967年10月には先発に復帰して2完封を記録するが、同年オフには自由契約とされた。しかし、家計簿を持参して苦しい家庭事情を訴え、1年間の契約延長を勝ち取る。翌1968年は開幕から10連勝を達成するなどし、14勝6敗の好成績で最高勝率に輝き、防御率も2.89でリーグ10位に入った。1969年は5勝と成績を落とし、1970年は3試合の登板に終わって、シーズン終了後に一度現役を引退。1971年から大洋の投手コーチ補佐を務める。

1972年7月に平松政次が故障し坂井勝二が不調の中で突如現役に復帰[1]。3試合に救援登板して無失点に抑えると、8月16日中日戦(川崎)での2失点完投勝ちを含む3勝を記録した[6]1973年は敗戦処理を中心に9試合の登板に留まり、同年限りで再び引退。

引退後は東北放送仙台放送解説者(1974年 - 1981年)。1982年から1983年までロッテ二軍投手コーチを務めた。

選手としての特徴

[編集]

を曲げたような格好で振りかぶり、重い荷物を背中から放り出すような独特の投球フォームから、重く鋭く落ちるアウトドロップを武器とした[1]

人物

[編集]

ぼそぼそと東北弁で喋る様子から、寝ぼけの源あるいはおとぼけの源と呼ばれた[1]

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1958 大洋 11 0 0 0 0 2 0 -- -- 1.000 129 32.1 25 0 11 0 0 21 0 1 10 9 2.45 1.11
1959 24 8 3 1 0 4 3 -- -- .571 370 91.0 74 6 25 1 4 66 1 0 34 32 3.16 1.09
1960 50 41 14 8 4 19 10 -- -- .655 951 247.1 152 16 62 4 8 203 3 0 71 63 2.29 0.87
1961 51 32 6 1 0 9 19 -- -- .321 927 217.2 193 14 85 5 10 151 6 1 96 73 3.01 1.28
1962 47 23 2 0 0 6 13 -- -- .316 630 147.0 146 11 49 3 8 128 1 0 75 62 3.80 1.33
1963 39 24 3 1 0 4 10 -- -- .286 616 141.0 146 18 62 1 5 84 1 0 80 68 4.34 1.48
1964 30 4 0 0 0 1 5 -- -- .167 267 64.2 61 2 18 1 2 43 4 0 26 20 2.77 1.22
1965 10 4 1 0 0 1 1 -- -- .500 123 30.0 27 2 9 1 0 18 0 1 14 12 3.60 1.20
1966 5 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 31 7.1 9 2 2 0 1 4 0 0 3 3 3.86 1.50
1967 14 3 2 2 0 2 0 -- -- 1.000 167 44.0 30 2 11 1 2 26 1 0 8 6 1.23 0.93
1968 41 22 5 1 1 14 6 -- -- .700 697 167.2 163 15 42 2 10 90 2 0 57 54 2.89 1.22
1969 30 12 1 0 0 5 6 -- -- .455 344 80.1 75 11 31 5 6 65 2 0 40 34 3.83 1.32
1970 3 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 24 4.2 8 1 4 0 1 2 0 0 7 7 12.60 2.57
1972 17 3 1 0 0 3 3 -- -- .500 229 53.0 43 5 25 5 7 35 3 0 26 23 3.91 1.28
1973 9 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 83 14.0 22 0 13 0 7 8 0 0 15 8 5.14 2.50
通算:15年 381 178 38 14 5 70 77 -- -- .476 5588 1342.0 1174 105 449 29 71 944 24 3 562 474 3.18 1.21
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

[編集]

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 53 (1958年)
  • 20 (1959年 - 1971年、1973年)
  • 13 (1972年)
  • 75 (1982年 - 1983年)

関連情報

[編集]

出演

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 『魔球伝説-プロ野球不滅のヒーローたち』183頁
  2. ^ 『魔球伝説-プロ野球不滅のヒーローたち』180頁
  3. ^ a b 『魔球伝説-プロ野球不滅のヒーローたち』181頁
  4. ^ 大洋で完全試合の元投手ら逮捕 財団かたり詐欺容疑”. 朝日新聞 (2012年4月20日). 2012年4月20日閲覧。
  5. ^ 手紙で思い出す「ゲンちゃん」こと島田源太郎 そして森祇晶の凄さに思いを… | 東スポの野球に関するニュースを掲載
  6. ^ 「大洋のベテラン・島田源太郎が見事な復活勝利/週べ回顧1972年編」週刊ベースボールONLINE、2021年3月24日

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]