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山本公士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本 公士
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県
生年月日 (1942-08-06) 1942年8月6日
没年月日 (2023-08-18) 2023年8月18日(81歳没)
身長
体重
165 cm
58 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1963年
初出場 1964年4月12日
最終出場 1970年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山本 公士(やまもと こうし、1942年8月6日 - 2023年8月18日[1])は、熊本県熊本市出身[2]プロ野球選手外野手)。

来歴・人物

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熊本工業高校では1960年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、中九州大会準決勝に進出するが、高田高門岡信行に完封を喫し甲子園には届かなかった。卒業後は三菱造船長崎に進む。

1963年阪急ブレーブスへ入団、俊足好打の外野手として期待される。1966年には準レギュラーではあったが、主として中堅手、チャンスメーカーとして31試合に先発出場、規定打席未到達ながら32盗塁パ・リーグ盗塁王を獲得した。しかし翌1967年には長池徳二が中堅手に定着したこともあって出番が減る。同年の読売ジャイアンツとの日本シリーズでは3試合に代走、守備固めとして出場。その後も控え外野手として起用されるが1970年限りで引退。

引退後は阪急に残り、スカウトとして九州地区を担当し、松永浩美などを入団させた。

2023年8月18日午後5時、肺がんのため熊本市内の病院で死去。81歳没[1]

阪神タイガースでプレーしていた山本哲也は実兄。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1964 阪急 106 54 49 13 15 2 0 0 17 4 14 3 3 0 1 0 1 11 1 .306 .333 .347 .680
1965 94 70 65 23 10 2 0 0 12 2 10 6 3 0 1 0 1 14 2 .154 .179 .185 .364
1966 106 158 140 32 36 6 1 1 47 10 32 11 8 0 7 0 3 28 2 .257 .307 .336 .642
1967 93 25 21 12 3 0 0 0 3 0 16 7 2 0 2 0 0 6 0 .143 .217 .143 .360
1968 99 36 29 12 4 1 0 0 5 1 12 7 1 0 6 0 0 5 0 .138 .286 .172 .458
1969 89 17 16 16 0 0 0 0 0 0 13 3 0 0 1 0 0 4 1 .000 .059 .000 .059
1970 58 6 5 8 1 0 0 0 1 0 6 4 0 0 1 0 0 0 0 .200 .333 .200 .533
通算:7年 645 366 325 116 69 11 1 1 85 17 103 41 17 0 19 0 5 68 6 .212 .266 .262 .528
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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  • 初出場:1964年4月12日、対東映フライヤーズ4回戦(後楽園球場)、8回裏から右翼手として出場
  • 初打席:1964年4月22日、対東映フライヤーズ7回戦(阪急西宮球場)、16回裏に尾崎行雄の前に三振
  • 初先発出場:1964年4月25日、対南海ホークス7回戦(阪急西宮球場)、6番・左翼手で先発出場
  • 初盗塁:1964年4月29日、対東映フライヤーズ10回戦(後楽園球場)、8回表に2盗(投手:尾崎行雄、捕手:安藤順三
  • 初安打:1964年6月7日、対東京オリオンズ14回戦(東京スタジアム)、4回表に西三雄から単打
  • 初本塁打:1966年5月5日、対東映フライヤーズ4回戦(阪急西宮球場)、9回裏に尾崎行雄からソロ

タイトル

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背番号

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  • 71 (1963年 - 1964年)
  • 2 (1965年 - 1970年)

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b “山本公士氏死去 元プロ野球阪急外野手”. 神戸新聞NEXT. (2023年8月19日). https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/obituaries/202308/0016717656.shtml 2023年8月19日閲覧。 (要登録)
  2. ^ 『熊本日日新聞』1996年7月6日朝刊23頁

関連項目

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