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尾崎亀重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尾崎 亀重
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長崎県平戸市生月町
生年月日 (1947-10-12) 1947年10月12日(77歳)
身長
体重
177 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1971年 ドラフト8位
初出場 1972年9月17日
最終出場 1972年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

尾崎 亀重(おざき かめしげ、1947年10月12日 - )は元プロ野球選手捕手)。

息子はタレント・元大相撲力士尾崎勇気(隆乃若勇紀)[1]

来歴・人物

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猶興館高では、1965年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、長崎工に敗退し西九州大会への出場を逃す。国士舘大に進学するが、東都大学リーグでは一部昇格はならなかった。卒業後は電電東京に入社、1971年都市対抗に出場。四番を打ち、三菱重工名古屋との1回戦では本塁打を放つ[2]。社会人屈指の大型捕手として各球団に注目された。

1971年度ドラフト会議でヤクルトアトムズから8位指名を受けプロ入り。1972年から2年連続でジュニアオールスターゲームに出場、1973年には決勝本塁打を放ちMVPを受賞する。しかし一軍では活躍できず、家業を継ぐために同年限りで引退[1]

息子の勇気には小学校、中学校と野球を強要したが、反発していた勇気は頑なに野球をやらなかった[3]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1972 ヤクルト 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:1年 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000

表彰

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記録

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背番号

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  • 30 (1972年 - 1973年)

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、127ページ
  2. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  3. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p26

外部リンク

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