尾崎亀重
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 長崎県平戸市生月町 |
生年月日 | 1947年10月12日(77歳) |
身長 体重 |
177 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1971年 ドラフト8位 |
初出場 | 1972年9月17日 |
最終出場 | 1972年10月10日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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尾崎 亀重(おざき かめしげ、1947年10月12日 - )は元プロ野球選手(捕手)。
息子はタレント・元大相撲力士の尾崎勇気(隆乃若勇紀)[1]。
来歴・人物
[編集]猶興館高では、1965年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、長崎工に敗退し西九州大会への出場を逃す。国士舘大に進学するが、東都大学リーグでは一部昇格はならなかった。卒業後は電電東京に入社、1971年の都市対抗に出場。四番を打ち、三菱重工名古屋との1回戦では本塁打を放つ[2]。社会人屈指の大型捕手として各球団に注目された。
1971年度ドラフト会議でヤクルトアトムズから8位指名を受けプロ入り。1972年から2年連続でジュニアオールスターゲームに出場、1973年には決勝本塁打を放ちMVPを受賞する。しかし一軍では活躍できず、家業を継ぐために同年限りで引退[1]。
息子の勇気には小学校、中学校と野球を強要したが、反発していた勇気は頑なに野球をやらなかった[3]。
詳細情報
[編集]この元プロ野球選手の記録に関する文献や情報源が必要です。 (2013年6月) |
年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1972 | ヤクルト | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:1年 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
表彰
[編集]- ジュニアオールスターゲームMVP:1回 (1973年)
記録
[編集]背番号
[編集]- 30 (1972年 - 1973年)
関連項目
[編集]脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 尾崎亀重 - NPB.jp 日本野球機構