尚氏
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解説
[編集]佐敷按司巴志が挙兵して中山察度王統二代目武寧王を滅ぼして後、北山、南山を滅ぼして琉球を統一し尚巴志王(しょうはしおう)として尚氏を名乗った。
しかしその後、有力豪族や王族内部の王位継承問題での内乱や外征が続き、国民は疲弊し、群臣に推挙されて伊是名島出身の金丸(後の尚円王)が即位して王家が交替しており、第一尚氏・第二尚氏として区別している。
- 第一尚氏 - 尚思紹王・尚巴志王を始祖とし、7代63年間続いた(1406年(永楽4年) - 1469年(成化5年))[2]。
- 第二尚氏 - 尚円王を始祖とし、19代410年続いた(1469年(成化5年) - 1879年(光緒5年・明治12年))。廃藩置県後は、東京で侯爵に列せられた[3]。