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小林国男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小林 国男
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市熱田区
生年月日 (1950-10-03) 1950年10月3日(74歳)
身長
体重
175 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1971年 ドラフト12位
初出場 1973年5月21日
最終出場 1979年9月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

小林 国男(こばやし くにお、1950年10月3日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手投手)・コーチ

来歴・人物

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愛知・享栄高では、エース投手として1968年夏の甲子園に出場[1]。1回戦で倉敷工に敗退。卒業後は西濃運輸に入社[1]早川実柴田昌邦両投手との三本柱で活躍する。

1971年ドラフト12位でヤクルトから指名を受けた。交渉権を保留したまま臨んだ1972年都市対抗では2勝をあげ準決勝に進出するが、優勝した日本楽器のエース新美敏に抑えられ敗退。1972年10月にヤクルト入団[1]1973年、先発の一角として起用されるが2勝に留まる。1974年も2勝に終わり真価を発揮できなかった。その後は主に中継ぎとして起用される。

1978年には自己最多の46試合に登板し、ヤクルトのリーグ初優勝に貢献。阪急ブレーブスとの日本シリーズでも3試合に登板し、チーム日本一に力を添えた。1981年を最後に現役を引退[1]

引退後はヤクルトで打撃投手を務めた。1995年よりトレーニングコーチ補佐を2001年まで務め、2002年より野村克也監督の下シダックス投手コーチに就任[1]2006年10月同部の廃部に伴い退団となる。

スリークォーターからの速球スライダーカーブシュートを武器とした。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1973 ヤクルト 26 13 1 0 0 2 3 -- -- .400 244 59.1 56 4 15 1 2 28 0 0 23 19 2.90 1.20
1974 21 9 1 0 1 2 3 0 -- .400 313 71.2 82 10 24 2 2 31 1 1 39 38 4.75 1.48
1975 31 4 0 0 0 0 2 0 -- .000 182 39.0 52 6 15 2 2 18 0 0 26 23 5.31 1.72
1976 30 1 0 0 0 0 1 1 -- .000 151 33.2 37 3 14 0 1 19 0 0 13 12 3.18 1.51
1977 16 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 56 10.2 18 1 5 0 0 2 1 0 10 10 8.18 2.16
1978 46 3 0 0 0 1 1 1 -- .500 216 50.2 49 7 21 2 3 31 1 0 27 23 4.06 1.38
1979 13 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 49 10.0 15 2 5 0 0 6 0 0 5 5 4.50 2.00
通算:7年 183 30 2 0 1 5 11 2 -- .313 1211 275.0 309 33 99 7 10 135 3 1 143 130 4.25 1.48

記録

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  • 初登板:1973年5月21日、対読売ジャイアンツ7回戦(後楽園球場)、8回裏から3番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初奪三振:同上、高田繁から
  • 初先発:1973年5月23日、対阪神タイガース8回戦(明治神宮野球場)、3回無失点で勝敗つかず
  • 初勝利・初完投:1973年7月18日、対阪神タイガース16回戦(阪神甲子園球場)、9回2失点(自責点1)
  • 初安打:1973年10月1日、対中日ドラゴンズ24回戦(明治神宮野球場)、7回裏に渋谷幸春から単打
  • 初セーブ:1976年9月6日、対読売ジャイアンツ22回戦(後楽園球場)、8回1死から2番手で救援登板・完了、1回2/3無失点

背番号

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  • 14 (1973年 - 1981年)
  • 81 (1982年 - 1985年)
  • 83 (1986年)
  • 84 (1987年 - 1999年)

脚注

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  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、225ページ

関連項目

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外部リンク

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