太田八重子

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太田 八重子(おおた やえこ、1944年 - 1969年12月10日[1])は、日本ヌードモデル[1]

略歴[編集]

高校卒業後、一流企業の秘書を務めたが、1964年に写真家・杉山吉良のヌードモデルに転身した[1]。「X線撮影法大系」のモデルとして、レントゲン撮影機の透視台の上でポーズをとり続け、ヌードモデルでありながら日本放射線医学界に貢献をした。

1969年、妻子ある男性との恋愛関係を週刊誌『女性自身』に暴露され、同年12月23日号では男性の妻との対談記事が掲載された。その直後の12月10日、静岡県三保海岸で入水自殺[2]。1971年には実兄が八重子の愛犬5頭を絞め殺した後、シンナーで後追い自殺している[2]

主な作品[編集]

  • 写真集「讃歌」 杉山吉良・撮影
  • 本「遠すぎる渚-太田八重子愛と死のなぞ遺して」 太佐順・著

出典[編集]

  1. ^ a b c 太田 八重子(オオタ ヤエコ)とは”. コトバンク. 新撰 芸能人物辞典 明治〜平成(日外アソシエーツ. 朝日新聞社. 2019年5月19日閲覧。
  2. ^ a b 『事件・犯罪大事典 : 明治・大正・昭和』東京法経学院出版、1986年、p.52-53。

関連項目[編集]