堀部勝四郎
表示
堀部 勝四郎(ほりべ かつしろう、1828年1月18日(文政10年12月2日[1])- 1896年(明治29年)6月25日[2])は、明治時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。幼名は庄三郎[1]。
経歴
[編集]幕臣、先代堀部勝四郎の子として尾張名古屋藩領愛知郡前津小林村(のちの愛知県愛知郡御器所村大字前津小林、名古屋市前津小林、名古屋市中区前津小林)に生まれる[1]。15歳の時に江戸に渡り、塚田慇四郎の門に入る[1]。その後、郷里に戻り呉服太物商を開業し、海産問屋を開くなど多角経営に乗り出す[1]。名古屋区会議員、同議長を経て[2]、1879年(明治12年)愛知県会議員に当選し、1882年(明治15年)再選し、区部会議長および常置委員を兼任する[1]。1885年(明治18年)12月、県議に3選を果たし区部会議長および県会副議長を歴任し、1888年(明治21年)1月、議員を辞した[1]。
ほか、商業会議所会頭、名古屋海産商組合長、第四十六国立銀行、愛知実業銀行各取締役、日本共立汽船社長、名古屋電気鉄道、尾張紡績、名古屋倉庫各取締役、愛知育児院、大日本施薬院各副院長などを歴任した[3]。1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では愛知県第1区から出馬し当選[4]。衆議院議員を1期務めた[4]。
栄典
[編集]- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 大久保 1890, 1123頁.
- ^ a b 衆議院、参議院 編 1962, 447頁.
- ^ 衆議院、参議院 編 1962, 446-447頁.
- ^ a b 衆議院、参議院 編 1962, 446頁.
- ^ 聖代偉績芳鑑編纂局関西支部 1919, 55頁.
参考文献
[編集]- 大久保利夫『衆議院議員候補者列伝 : 一名・帝国名士叢伝 第3編』六法館、1890年 。
- 聖代偉績芳鑑編纂局関西支部 編『聖代偉績芳鑑』聖代偉績芳鑑編纂局関西支部、1919年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。