周布兼道
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周布 兼道 すふ かねみち | |
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生年月日 | 1882年3月24日 |
出生地 | 山口県 |
没年月日 | 1955年6月29日(73歳没) |
出身校 | 東京府立第一中学校 |
所属政党 | 公正会 |
称号 | 男爵 |
配偶者 | 先妻:鑑子 後妻:郷子 |
親族 |
周布公平(貴族院議員) - 父 副島種臣(貴族院議員) - 義父 |
選挙区 | 男爵議員 |
在任期間 | 1921年4月23日 - 1947年5月2日 |
周布 兼道(すふ かねみち、1882年(明治15年)3月24日[1] - 1955年(昭和30年)6月29日[1])は、日本の貴族院議員。男爵。周布公平の長男。長州藩士・周布兼翼(周布政之助)の孫にあたる。
略歴
[編集]山口県出身。
- 1900年 - 東京府立第一中学校卒業。
- 1913年(大正2年)8月11日 - 父の隠居に伴い男爵を襲爵[2]。
- 1921年(大正10年)4月23日 - 貴族院男爵補欠選挙に当選[3]。
- 1924年(大正13年)1月30日 - 従四位に叙する[3]。
- 1946年(昭和21年)6月22日 - 第90回帝国議会決算委員会委員長となる[3]。
- 1946年(昭和21年)11月28日 - 第91回帝国議会決算委員会委員長となる[3]。
以後、逗子電燈取締役。
- 1955年(昭和30年) - 死去、享年74。
親族
[編集]- 祖父・周布政之助
- 父・周布公平( 1851-1921) ‐ 男爵、知事[4]
- 母・貞子(1863-1943) ‐ 東京士族・岩崎衛生の長女[4]
- 先妻:鑑子(副島種臣の五女。勘解由小路豊子(志賀直哉の義母)の妹)[5]
- 後妻:郷子(さとこ、渡辺金左衛門四女)[1]
- 長男:公兼[1]
- 二男:明兼(松平外与麿養子)[1]
- 従伯父・杉孫七郎 ‐ 祖父政之助の姉の子
- 従兄弟・神西清 ‐ 母同士が姉妹
- 従兄弟・北村寿夫 ‐ 母同士が姉妹
- 義弟・黒沢次久 (1880-) ‐ 妹千代子の夫。日本火災保険常務、日本ビルディング監査役、元維新史料編纂事務局長兼文部省参事官。諏訪藩士・黒沢次是の長男。東京帝国大学法科大学英法科卒業後文官高等試験合格、内務省・文部省勤務、文部大臣秘書官となり、欧米留学を経てのち実業に転ず。[6][7][8]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 周布公平 |
男爵 周布(政之助)家第2代 1913年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |