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原田 譲二(はらだ じょうじ、1885年3月26日[1] - 1964年2月10日)は、日本のジャーナリスト。貴族院勅選議員。
岡山県後月郡西江原村(現・井原市)出身[1]。1907年早稲田大学卒。報知新聞社に入り[1]、1915年、東京朝日新聞社に入る[2]。社会部長を経て[2]、1925年、大阪朝日新聞社に入る[2]。同社では編集局長から専務となり[2]、1946年8月14日、貴族院勅選議員となった[2][3]。貴族院議員は交友倶楽部に所属し翌1947年5月2日の貴族院廃止まで在職した[4]。同年12月に公職追放を受けた[5][6]。その後、追放解除となり、1964年に死去した。
- ^ a b c 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ株式会社。
- ^ a b c d e 『日本人名大辞典』講談社。
- ^ 『官報』第5881号、昭和21年8月21日。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』155頁。
- ^ 『朝日新聞』1947年12月23日一面。
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、90頁。NDLJP:1276156。
参考文献[編集]
- 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年。
- 『日本人名大辞典』講談社。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。