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力士会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

力士会(りきしかい)とは、十両以上の力士で構成する親睦団体である。選手会の一つ。力士生活の向上のため力士の立場から日本相撲協会へ提言することを目的としている。協会から力士会に対し助成金が支給されている(経費援助)ため[1]、法令上労働組合にはあたらない(労働組合法第2条2号)。

概要

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毎場所ごとに番付発表の翌日(2019年時点では場所初日の12日前とされる[2])に開催され、ここで新十両昇進力士の紹介や引退力士への記念品贈呈、関取衆の身体測定(身長・体重)などが行われる。また、引退相撲に関しては力士会は無償で出場することが慣例となっている。

力士会の会長は、慣例でその年初場所番付最上位者か、先に昇進した横綱が務めることになっているが、2021年12月時点では会長不在となっている[3]

原則として、昇進が最初の横綱が力士会会長を務め、会長の横綱が現役引退した場合はその次に昇進した横綱が次の力士会会長となるが、白鵬は自身が引退以前に自身の次に横綱に昇進した日馬富士に会長を譲り、日馬富士が引退後はその次に昇進した鶴竜が会長を務めた。鶴竜が2021年3月場所で現役を引退して以降は新型コロナウイルス感染拡大の時期と重なり暫く力士会が開催されなかったため会長不在の状態が続いており、不在期間中に白鵬も引退したため、白鵬引退後に一人横綱になった照ノ富士が次期会長に就任するものとみられている(ただし2021年12月時点で正式には決定していない)[3]

横綱が不在の場合には番付最上位者の大関が会長を務める場合もあるが、その年の途中で横綱に昇進した力士がいた場合には、慣例として横綱に交代する[注釈 1]。大関が就任した事例は過去に2例のみであり、歴代会長の中で最高位が大関なのは小錦八十吉のみである[注釈 2]

力士会主催のイベントとしては、ユニークな仮装行列でおなじみの「力士運動会」がある。これまでに過去9回開催されているが、平成時代以降は1991年6月と1999年2月に行われたのみである[注釈 3]。そのため、現役力士の中には「力士運動会」を知らない関取も増えてきている。2015年4月には力士会会長(当時)の横綱・白鵬翔が、久々に力士運動会を復活させようとの声をあげている[4]

2008年9月2日の力士会の際、抜き打ちの尿検査が実施され露鵬白露山のロシア出身の兄弟力士に大麻吸引の陽性反応が出た。このことにより両力士は解雇され、北の湖理事長(当時、のちに再任)が引責辞任した。

歴史

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歴代会長

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四股名と番付は就任当時のもの

代数 四股名 番付 在位 退任理由 備考
初代 玉錦三右エ門 大関 1932年1月~1938年12月 死去 就任当時横綱空位
1932年10月場所後に横綱昇進
2代 双葉山定次 横綱 1938年12月~1945年11月 引退
3代 羽黒山政司 横綱 1945年11月~1953年9月 引退
4代 東富士欽壹 横綱 1953年9月~1954年9月 引退
5代 千代の山雅信 横綱 1954年9月~1959年1月 引退
6代 栃錦清隆 横綱 1959年1月~1960年5月 引退
7代 若乃花幹士 横綱 1960年5月~1962年4月 引退
8代 大鵬幸喜 横綱 1962年4月~1971年5月 引退
9代 北の富士勝昭 横綱 1971年6月~1974年7月 引退
10代 輪島大士 横綱 1974年7月~1981年3月 引退
11代 北の湖敏満 横綱 1981年3月~1985年1月 引退
12代 千代の富士貢 横綱 1985年1月~1991年5月 引退
13代 北勝海信芳 横綱 1991年5月~1992年5月 引退
14代 小錦八十吉 大関 1992年5月~1993年1月 新横綱誕生 横綱空位期間
15代 曙太郎 横綱 1993年1月~2001年1月 引退
16代 貴乃花光司 横綱 2001年1月~2003年1月 引退
17代 武蔵丸光洋 横綱 2003年1月~2003年11月 引退
18代 朝青龍明徳 横綱 2003年11月~2010年1月 引退
19代 白鵬翔 横綱 2010年1月~2016年4月 2016年5月場所前に退任
20代 日馬富士公平 横綱 2016年4月~2017年11月 引退
21代 鶴竜力三郎 横綱 2017年12月~2021年3月 引退
(不在) --- 2021年3月[3]

その他

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  • 2005年には、初の試みとして熱海へ関取衆で旅行を行った。その他でも、関取衆を集めて釣りなどの行事を行っている。
  • 協会内には、力士会と同様の親睦団体として、行司会、呼出会、若者頭会、世話人会、床山会、さくらの会(協会職員による団体)があり、それぞれ各職能の立場から協会に対して提言を行っている。

脚注

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注釈

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  1. ^ 1992年5月場所で北勝海信芳が引退して横綱が不在となったあと、翌1993年3月場所で曙太郎が横綱に昇進するまでの間、筆頭大関だった小錦八十吉が力士会会長を務めた。
  2. ^ 就任当時に大関だった初代会長の玉錦三右エ門は就任中に横綱昇進。
  3. ^ フジテレビ系列放送で企画された2012年6月開催のイベントは、力士対芸能人で腕相撲・大食い・歌力対決など行われたが、運動会とは少し趣向が異なった。

出典

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  1. ^ 令和2年度事業報告書日本相撲協会
  2. ^ 田中亮『全部わかる大相撲』(2019年11月20日発行、成美堂出版) p.10
  3. ^ a b c 1年ぶりに力士会開催 尾車事業部長の講話も」『産経新聞』2021年12月25日。2022年1月2日閲覧。
  4. ^ 白鵬が力士運動会の復活に意欲(日刊スポーツ・2015年4月29日)

関連項目

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