儲波
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儲波 | |
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生年月日 | 1944年10月(80歳) |
出生地 | 中華民国安徽省桐城市 |
出身校 | 天津大学 |
所属政党 | 中国共産党 |
全国人民代表大会財政経済委員会副主任委員 | |
在任期間 | 2009年12月26日 - |
内モンゴル自治区党委書記 | |
在任期間 | 2001年8月15日 - 2009年11月30日 |
内モンゴル自治区人大常委会主任 | |
在任期間 | 2003年1月18日 - 2010年1月11日 |
湖南省人民政府省長 | |
在任期間 | 1999年2月1日 - 2001年8月16日 |
儲波 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 儲波 |
簡体字: | 储波 |
拼音: | Chǔ Bō |
儲波(ちょ は、チュウ・ボー 、1944年10月 - )は、中華人民共和国の官僚、政治家。安徽省桐城市出身。現職は全国人民代表大会財政経済委員会副主任委員。岳陽市市長、岳陽市市委書記、湖南省省長、内モンゴル自治区党委書記、内モンゴル自治区人大常委会主任などを歴任した。
経歴
[編集]1967年9月、天津大学水利工程系を卒業。1968年8月からは瀋陽軍区の解放軍2348工程指揮部助理員、総後化学生産管理局事務室秘書などを務める。1969年に中国共産党入党。
1975年2月、湖南省岳陽市の国有企業である化工総場弁公室秘書、副課長、副主任として就職し、昇進を重ねて副場長、党委員会副書記となる[1][2]。1984年7月、岳陽市市委副書記、市長に就任[1][2]。1986年2月、岳陽市市委書記に昇格する[1][2]。
1991年3月、同省長沙市に転任し、湖南省副省長、湖南省党委副書記、湖南省省長を歴任[1][2][3]。
2001年8月、党務に転じて内モンゴル自治区に赴任し、内モンゴル自治区党委書記、内モンゴル自治区軍区党委第一書記に就任した[1][2][4]。2003年1月には内モンゴル自治区人大常委会主任、党組書記を兼任[1][2][5]。2009年11月、内モンゴル自治区党委書記を退任[1][2]。
2009年12月、中央に移り、 全国人民代表大会財政経済委員会副主任委員(次官)に就任[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h “儲波” (中国語). 中華人民共和国中央人民政府. (2006年7月14日) 2020年2月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “简历:中共内蒙古自治区党委书记储波” (中国語). 搜狐. (2006年2月16日) 2020年2月21日閲覧。
- ^ “湖南省人大同意储波辞职 提名张云川为代省长” (中国語). 新浪. (2001年8月16日) 2020年2月21日閲覧。
- ^ “储波当选内蒙古自治区党委书记 杨晶等任副书记” (中国語). 搜狐. (2006年11月23日) 2020年2月21日閲覧。
- ^ “储波任内蒙古人大常委会主任 杨晶任主席” (中国語). 中国網. (2008年1月27日) 2020年2月21日閲覧。
- ^ “储波徐光春张文岳王鸿举调任全国人大(图简历)” (中国語). 中国網. (2009年12月28日) 2020年2月21日閲覧。
官職 | ||
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先代 陳邦柱 |
岳陽市人民政府市長 1984年7月-1986年2月 |
次代 譚照華 |
先代 譚照華 |
岳陽市人民政府市長 1990年8月-1991年5月 |
次代 欧陽松 |
先代 楊正午 |
湖南省人民政府省長 1998年9月-2001年8月 |
次代 張雲川 |
党職 | ||
先代 李朗秋 |
岳陽市市委書記 1986年2月-1991年3月 |
次代 謝培清 |
先代 劉明祖 |
内モンゴル自治区党委書記 2001年8月-2009年11月 |
次代 胡春華 |
議会 | ||
先代 劉明祖 |
内モンゴル自治区人大常委会主任 2003年1月-2010年1月 |
次代 胡春華 |