伊達宗利
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛永11年12月18日(1635年2月5日) |
死没 | 宝永5年12月21日(1709年1月31日) |
戒名 | 天梁院殿賢山紹徳大居士 |
官位 | 従四位下・大膳大夫、侍従、遠江守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱、綱吉 |
藩 | 伊予宇和島藩主 |
氏族 | 宇和島伊達氏 |
父母 |
父∶伊達秀宗 母∶朝井氏 |
兄弟 |
宗実、宗時、宗利、菊、萬、鶴松、 桑折宗臣、宗純、徳松、宗職、竹松、松、岩松、清、宗則 |
妻 |
松平光長の娘・稲姫 元泉氏、古谷氏、昆陽野氏、田部氏、入野氏 |
子 |
豊姫、三保姫、兵助、六松、多尾、 鐵千代、金十郎、富之助、栄之助、 千代之助、光、佐知、賢、 養子∶宗贇 |
伊達 宗利(だて むねとし)は、江戸時代前期の大名。伊予国宇和島藩2代藩主。官位は従四位下・大膳大夫、侍従、遠江守。
生涯
[編集]初代藩主・伊達秀宗の三男として誕生した。寛永16年(1639年)2月15日に元服する。長兄の宗実が病弱のため嫡子を辞し、次兄の宗時が父に先立って死去したため、明暦3年(1657年)7月21日、父の隠居により家督を継ぐ。寛文10年(1670年)から八十島親隆を検地奉行として検地制度や村役人制度を確立し、元禄元年(1688年)には紙専売制度も実施するなどして藩政の基盤を固めた。しかし藩主の居殿である浜屋敷の造営、宇和島城の大改修など出費も相次ぎ、藩財政は苦しかった。
寛文11年(1671年)に本家の仙台藩で伊達騒動が起こったときには、今村善太夫ら罪人を預かっている。延宝9年(1681年)の越後騒動の際には、舅である松平光長が当事者だったこともあり、宗利が幕府と越後高田藩松平家との事後処理の窓口とされた。
元禄6年(1693年)11月14日、家督を養嗣子で娘婿の宗贇に譲って隠居し、宝永5年(1708年)12月21日に75歳で死去した。法号は天梁院殿賢山紹徳大居士。
系譜
[編集]- 父:伊達秀宗(1591年 - 1658年)
- 母:朝井氏
- 正室:稲姫 - 大通院、松平光長の娘
- 側室:元泉氏
- 長男:兵助 - 夭折
- 側室:古谷氏
- 三女:多尾 - 夭折
- 三男:鐵千代 - 夭折
- 六男:栄之助 - 夭折
- 側室:昆陽野氏
- 次男:六松 - 夭折
- 四男:金十郎 - 夭折、仙台伊達綱村の嗣子内定後に早世
- 七男:千代之助 - 夭折
- 側室:田部氏
- 側室:入野氏
- 五女:佐知 - 夭折
- 養子
参考文献
[編集]- 近代史文庫宇和島研究会『家中由緒書 上』(近代史文庫宇和島研究会、1976年)
- 宇神幸男『シリーズ藩物語 宇和島藩』(現代書館、2011年)
- 絵本『伊達宗利の娘 豊姫物語〜家と故郷つなぐ「あんず」の縁〜』(宇和島信用金庫 企画制作、2017年)