中谷翼
広島時代 | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府枚方市 |
生年月日 | 1984年9月30日(40歳) |
身長 体重 |
180 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | NPB / 2005年 育成選手ドラフト1巡目 |
初出場 | NPB / 2007年5月8日 |
最終出場 | NPB / 2010年9月25日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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中谷 翼(なかたに つばさ、1984年9月30日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。現在は読売ジャイアンツの球団職員。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]大阪府枚方市出身。招提中学時代はオール枚方ボーイズに在籍し1999年のジャイアンツカップに出場。高校は仙台育英高に進学し、2年時には二塁手として第73回選抜高等学校野球大会で準優勝を経験する。同期に矢貫俊之、菊池俊夫。
高校卒業後は立命館大学に進学(金刃憲人は同期)するが1年秋に中退。
四国IL・愛媛時代
[編集]大学中退後、社会人チームの採用もなかったが、進退をかけて臨んだ四国アイランドリーグの入団テストに合格し、2005年に、愛媛マンダリンパイレーツに入団。打率.296、本塁打5、打点38と、いずれの部門でもリーグ2位の成績を残す。盗塁はチームトップの21。二塁手としてベストナインも獲得。
同年の育成選手ドラフト1巡目で広島東洋カープから指名を受けて入団。背番号128は、愛媛時代の28に100を足したものであった[1]。
広島時代
[編集]2007年2月18日の紅白戦で高橋建から左打者ながらレフトオーバーの2塁打を放つ。その10日後の2月28日に支配下登録をされ、背番号も128から56に変更。同年5月8日に一軍初出場を果たした。打撃の評価は高いものの、二軍では2007年に15失策、2008年に6失策を喫するなど守備に不安が残った。
2010年、9月25日の阪神戦で初の先発出場を果たした。守備では内野フライを落球する失策を犯した一方で、打撃では一軍初安打と初打点を記録した[2]。しかし9月末に右肘靭帯を負傷、10月に再建手術を受けて回復まで8か月以上を要すると見込まれた[3]。そのため10月26日に戦力外通告を受け[3]、支配下選手登録を外れた後11月16日に育成選手として再契約した。
2013年10月1日付で球団から2度目の戦力外通告を受けた[4]。10月31日、自由契約公示された[5]。
引退後
[編集]現役引退後は、読売ジャイアンツのブルペン捕手に転身した[6]。
2018年1月1日付けで運営部に異動することが発表された。
選手としての特徴
[編集]俊足巧打が武器の内野手[7]。高い打撃センスを誇り[8]、プロ2年目の当時育成選手として参加した春季キャンプでは、中谷の打撃を見た主力選手の前田智徳が「なんであれで育成選手なんだ」と目を見張るほどであった[9]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2007 | 広島 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2010 | 2 | 5 | 5 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .200 | .200 | .400 | .600 | |
通算:2年 | 4 | 7 | 7 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .143 | .143 | .286 | .429 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
三塁 | |||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2010 | 広島 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | .667 |
通算 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | .667 |
記録
[編集]- NPB
- 初出場:2007年5月8日、対中日ドラゴンズ6回戦(福山市民球場)、3回裏に青木高広の代打で出場
- 初打席:同上、3回裏に朝倉健太から一塁ゴロ併殺打
- 初先発出場:2010年9月25日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場)、7番・三塁手で先発出場
- 初安打・初打点:同上、9回表に西村憲から右中間適時二塁打
独立リーグでの打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
打 率 |
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2005 | 愛媛 | 87 | 297 | 40 | 88 | 5 | 38 | 21 | 0 | 3 | 45 | 3 | 70 | .296 |
通算:1年 | 87 | 297 | 40 | 88 | 5 | 38 | 21 | 0 | 3 | 45 | 3 | 70 | .296 |
背番号
[編集]- 28 (2005年)
- 128 (2006年 - 2007年途中、2011年 - 2013年)
- 56 (2007年途中 - 2010年)
- 210 (2014年 - 2017年)
脚注
[編集]- ^ “新生赤ヘル ルーキー群像”. 2012年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月12日閲覧。中国新聞、2006年1月19日
- ^ “広島中谷ほろ苦スタメンデビュー”. 日刊スポーツ. (2010年9月25日)
- ^ a b “中谷ら戦力外通告 育成で再契約”. 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月27日閲覧。中国新聞、2010年10月27日
- ^ “広島 岸本ら10選手に戦力外通告”. デイリースポーツ. (2013年10月1日)
- ^ “2013年度 自由契約選手(育成選手)”. 日本野球機構. 2015年9月18日閲覧。
- ^ “異例の捕手経験なし!元広島・中谷氏が巨人ブルペン捕手に”. サンケイスポーツ. (2014年1月16日)
- ^ “コロナ禍で総力戦を迫られるなか、支配下登録を勝ち取ったカープ育成選手をプレイバック|carp|編集部コラム|アスリートマガジンWEB”. アスリートマガジンWEB (2023年12月30日). 2024年1月3日閲覧。
- ^ スポーツコミュニケーションズ. “*カープ中谷、プロ初打席は併殺打 – SPORTS COMMUNICATIONS”. 2024年1月3日閲覧。
- ^ スポーツコミュニケーションズ. “リーグ出身NPB選手たちは今 〜中谷翼(広島)編〜 – SPORTS COMMUNICATIONS”. 2024年1月3日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 中谷翼 - NPB.jp 日本野球機構