中川裕貴
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現役時代の中川 | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 滋賀県蒲生郡竜王町 |
生年月日 | 1985年4月26日(39歳) |
身長 体重 |
176 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2003年 ドラフト1巡目 |
初出場 | 2006年10月16日 |
最終出場 | 2010年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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中川 裕貴(なかがわ ひろき、1985年4月26日 - )は、滋賀県蒲生郡竜王町出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]プロ入り前
[編集]中京高校では、1番城所龍磨の後を打つ4番打者として甲子園に2度出場。高校通算28本塁打。2003年のドラフト会議で中日ドラゴンズから1巡目指名を受け入団。中京高校の同期は城所のほか、榊原諒がいる。
プロ入り後
[編集]2004年、2005年シーズンは一軍出場はなく、2006年のシーズン最終戦で一軍初出場。
2007年、春のキャンプで右肩を痛めて以降、リハビリを続けるも再発し、オフに右肩を手術。
2008年8月、二軍戦復帰を果たした。
2009年、落合博満監督の指示により内野手から外野手に転向。同年6月、3年ぶりに1軍に昇格し、6年目でプロ初安打を記録。7月11日の対広島戦(ナゴヤドーム)にて7番・右翼手で初のスタメン出場。オフに背番号を森野将彦が着けていた31に変更。
2010年6月5日の対ロッテ戦(ナゴヤドーム)にて吉見祐治からプロ初本塁打となる2ランを放つ。最終的に13試合に出場し、この本塁打を含む4本の安打を放った。
2011年はケガもあってか一軍出場がなく、ファームでも1試合出場に留まり10月23日に球団から戦力外通告を受け[1]、現役を引退。
引退後
[編集]同球団の2軍マネージャーに転属となった[2][3]。ファーム日本選手権では自身のユニフォームがベンチに掲げられていた。 2014年からは一軍サブマネージャー。今は2軍マネージャー
選手としての特徴
[編集]入団時点で動体視力は福留孝介以上、50mも5.8秒と俊足で、肩も強い。しかし怪我が多く、チャンスを掴むことができなかった。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 中日 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2009 | 14 | 11 | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | .091 | .091 | .091 | .182 | |
2010 | 13 | 21 | 21 | 2 | 4 | 1 | 0 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .190 | .190 | .381 | .571 | |
通算:3年 | 28 | 33 | 33 | 3 | 5 | 1 | 0 | 1 | 9 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 2 | .152 | .152 | .273 | .425 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
外野 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2009 | 中日 | 5 | 3 | 0 | 1 | 0 | .750 |
2010 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 11 | 5 | 1 | 1 | 0 | .857 |
記録
[編集]- 初出場:2006年10月16日、対広島東洋カープ22回戦(広島市民球場)、6回表に佐藤充の代打として出場
- 初打席:同上、6回表に林昌樹の前に遊ゴロ
- 初安打:2009年6月27日、対広島東洋カープ8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に大竹寛から三塁内野安打
- 初先発出場:2009年7月11日、対広島東洋カープ11回戦(ナゴヤドーム)、7番・右翼手として先発出場
- 初打点・初本塁打:2010年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に吉見祐治から左越2ラン
背番号
[編集]- 32 (2004年 - 2009年)
- 31 (2010年 - 2011年)
脚注
[編集]- ^ “中日 ドラ1外野手に戦力外通告”. スポニチ Sponichi Annex (2011年10月23日). 2011年12月23日閲覧。
- ^ 中日新聞2011年11月13日号より。また、井手峻球団取締役によると、「リハビリ中の人間的な部分を評価して」の就任となった
- ^ “惜別球人 【中日】中川裕貴 外野手”. スポニチ Sponichi Annex (2011年12月23日). 2011年12月23日閲覧。[リンク切れ]
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 中川裕貴 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube