コンテンツにスキップ

三遊亭愛楽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三遊亭さんゆうてい 愛楽あいらく
San'yùtei Airaku
三遊亭(さんゆうてい) 愛楽(あいらく) San'yùtei Airaku
三ツ組橘は、圓楽一門の定紋である
本名 藤谷ふじたに 哲郎てつろう
別名 愛ちゃん
生年月日 (1969-11-08) 1969年11月8日(54歳)
出身地 日本の旗 日本愛知県岡崎市
師匠 五代目三遊亭圓楽
弟子 三遊亭愛二郎
出囃子 勢い
活動期間 1988年 -
活動内容 落語家
配偶者 あり
家族 三遊亭愛二郎(実子)
所属 落語円楽党
→落語ベアーズ
→円楽一門会
五代目円楽一門会
オフィスまめかな(マネジメント)

三遊亭 愛楽(さんゆうてい あいらく、1969年昭和44年〉11月8日 - )は、日本の落語家愛知県岡崎市出身。五代目円楽一門会所属、マネジメントはオフィスまめかな。本名∶藤谷 哲郎出囃子は『勢い』。

経歴

[編集]

父親はいわゆる転勤族で、中学2年生のときに出生地の岡崎市に戻った[1]。母親は元バスガイド[2]。少年時代はサッカー少年で、ポジションはゴールキーパーだった。岡崎市立城北中学校卒業後、愛知県立幸田高等学校に進学[1]。高校時代にフジテレビ系列の『発表!日本ものまね大賞』に出場し、審査員特別賞を受賞したことがある。また、高校では生徒会長を務めた。高校卒業後は進学するか円楽一門に入門するかで悩んだが、最終的には大学進学を諦めて落語家になることを決意。弟子入りを志願する時は、五代目圓楽に便箋50枚の手紙を書いた[2]1988年3月、五代目三遊亭圓楽に入門し「愛楽」を名乗る。「愛楽」という高座名は、愛知県出身に因んで名付けられた。

1990年1月、二ツ目昇進。『平成名物TVヨタロー』では三遊亭好太郎、三遊亭優(現・三遊亭楽春)ら円楽一門会で結成したトリオ「円楽ヤングバンブーズ」で登場。愛楽はオカマキャラや「何故にー!」「ポロリンコー」「ビビデバビデブー」等のギャグを披露する。なお『笑点Jr.』で見られた橘家文蔵(「落協エシャレッツ」のメンバーで当時はまだ二つ目で橘家文吾の名だった)にド突かれる流れは、この番組のころから存在していた。

1992年10月に三遊亭真楽三遊亭好太郎三遊亭楽松三遊亭竜楽三遊亭良楽三遊亭京楽と共に真打昇進。

2006年度には、板橋区立中根橋小学校PTA会長を務めた。

人物

[編集]

以前競輪番組を担当していた際には予想がまるで当たらず、一方では噺家らしく女性キャスターが番組を降板する際に泣かせるのが上手かったため、一部からは「泣かせ上手の車券下手」と呼ばれていた。

笑点Jr.メンバーとして

[編集]

若手大喜利が『笑点』の演芸コーナーで行われた時代から、『笑点Jr.』放送終了まで出演している古参メンバー。

着物の色は『BS笑点』・『笑点Jr.』共にピンク色。

レギュラー放送最終回の2011年2月13日の放送で座布団を一番多く獲得し、賞品として番組で使われた座布団が全部プレゼントされた。

座布団運びアシスタントとして

[編集]

若手大喜利に出演を始めた1998年から現在に至るまで『笑点』のアシスタントとしても出演し、主に収録時の前説や小道具配り、座布団運びの補佐を担当している。また、不定期に行われる3対3あるいは若手対レギュラーなどの対抗大喜利の他、元日恒例の東西大喜利にて、主に下手側のチームの座布団運びを担当している(若手対レギュラーに関しては2019年12月8日放送分を最後に二ツ目や色物に交代)。

2024年9月29日放送分をもって笑点のアシスタントを卒業した[3]

芸歴

[編集]

出演番組

[編集]

過去に出演していた番組

[編集]

一門弟子

[編集]

前座

[編集]

廃業

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 高橋健一「こころは三河 私の古里 落語家 三遊亭愛楽さん」 『中日新聞』2013年8月5日付朝刊、三河版、14面。
  2. ^ a b 三遊亭愛楽『落語ファン倶楽部 東西全落語家一門名鑑 「三遊亭愛楽一門」』白夜書房、2014年4月5日、121頁。ISBN 9784864940177 
  3. ^ https://x.com/lwy3gbe4xe4trq4/status/1837778613841940702?s=46&t=bJ1We55x36EVSbvgUhBkfA

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]