三条公敦
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時代 | 室町時代後期 - 戦国時代 |
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生誕 | 永享11年(1439年) |
死没 | 永正4年4月8日(1507年5月19日) |
別名 | 号:龍翔院 |
官位 | 従一位、右大臣 |
主君 | 後花園天皇→後土御門天皇→後柏原天皇 |
氏族 | 三条家 |
父母 | 父:三条実量 |
兄弟 | 公敦、大炊御門信量、公顕、公助、宗一、冬子、水無瀬季兼室 |
子 | 実香 |
三条 公敦(さんじょう きんあつ)は、室町時代後期の公卿。左大臣・三条実量の子。官位は従一位・右大臣。
経歴
[編集]左近衛中将・尾張権守・権中納言・権大納言などを経て、文正元年(1466年)に右近衛大将、文明7年(1475年)には左近衛大将、内大臣となった。さらに文明8年(1476年)には従一位、文明11年(1479年)に右大臣に任じられるも翌年には辞職。
文明13年(1481年)、43歳で出家した。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 米原正義「中世における地方武士と下向公家の文化交渉―大内政弘と三条公敦―」(『国学院雑誌』62巻4号、1961年)