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ラドフォード橋の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラドフォード橋の戦い

現在のラドフォード橋
戦争薔薇戦争
年月日1459年 10月12日
場所イングランドシュロップシャーのラドフォード橋
北緯52度21分49.5秒 西経2度43分8秒 / 北緯52.363750度 西経2.71889度 / 52.363750; -2.71889
結果:ランカスター派の勝利
交戦勢力
ヨーク家 ランカスター家
指導者・指揮官
ヨーク公
ソールズベリー伯
ウォリック伯
マーチ伯
ラットランド伯
アンドリュー・トラロップ(離反)
ヘンリー6世
バッキンガム公
ノーサンバランド伯
シュルーズベリー伯
ウィルトシャ―伯
デヴォン伯
バーモン子爵
戦力
不明 不明
損害
不明 不明
薔薇戦争
ラドフォード橋の戦いの位置(イギリス内)
ラドフォード橋の戦い
ラドフォード橋の戦いの場所

ラドフォード橋の戦い(Battle of Ludford Bridge)は、薔薇戦争の早い時期にヨーク派が最悪の損害をこうむった戦いである。

ブロア・ヒースの戦いでの勝利の後、ヨーク派はウスターに向かって進軍した。途中でヘンリー6世指揮する強大なランカスター軍に遭遇すると、すぐに拠点のあったシュロップシャーラドロー(Ludlow)のラドフォード橋まで後退した。

1459年10月12日、カレー方面軍司令官のアンドリュー・トラロップが部下を連れてランカスター派に寝返りし、ヨーク派の軍事・戦略情報と交換に恩赦を願い出た。これによってヨーク派は約3分の1と圧倒的な数的不利に追い込まれた。そのためその夜、ヨーク公と2人の息子、それからウォリック伯ソールズベリー伯は、勝ち目のないため撤退し、アイルランド(ヨーク公とラットランド伯)、あるいはカレー(ソールズベリー伯、ウォリック伯、マーチ伯)へ落ち延びた。

翌朝、指揮官がいなくなったことを知ってヨーク派は雲散した。ヨーク派の拠点であるラドローはランカスター派に略奪されるがままだったという。