ヨハン・ペーター・ウッツ
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ヨハン・ペーター・ウッツ(ドイツ語: Johann Peter Uz、1720年10月3日 アンスバッハ - 1796年5月12日 アンスバッハ)は、神聖ローマ帝国の詩人、法律家。
生涯
[編集]1720年10月3日、アンスバッハで生まれた[1]。1739年から1743年までハレ大学で法律を学び、ヨハン・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・グライムやヨハン・ニコラウス・ゲッツなどの詩人と知り合いになり、ゲッツとは共作でアナクレオンの頌歌を翻訳した(1746年)[1]。1748年に無給の裁判所秘書に任命され、以降12年間務めた[1]。1763年、帝国ニュルンベルク裁判所の陪席判事になり、1790年には裁判官に任命された[1]。1791年12月2日にアンスバッハ侯領がプロイセン王国に併合されると、プロイセンの法曹界に入ったが、1796年に地域裁判所の裁判官に任命された直後の1796年5月12日、アンスバッハで死去した[1]。
著作
[編集]本節の出典は[1]。
- アナクレオンの頌歌(1746年) - 翻訳、ヨハン・ニコラウス・ゲッツと共作
- Lyrische Gedichte(1749年) - 匿名出版
- Der Sieg des Liebesgottes(1753年) - アレキサンダー・ポープ風の十二音綴
- Versuchiiber die Kunst slels frohlich zu sein(1760年) - 教訓詩
- Sämtliche Poetische Werke(ライプツィヒ、1768年。1804年、ウィーンで第2版が出版) - ウッツの作品全集
脚注
[編集]- ^ a b c d e f Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 27 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 828–829.