出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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マリ・ウジェーヌ・フランソワ・トマ・デュボワ(Marie Eugène François Thomas Dubois, 1858年1月28日 - 1940年12月16日[1])は、オランダの解剖学者、人類学者。
オランダ南東部リンブルフ州エイズデン(オランダ語版)に生まれる。デュボアは軍医として当時蘭領であったインドネシアに渡り、1891年にジャワ島トリニールで、原始人類(猿人)の頭蓋骨、顎骨、頚骨、2本の臼歯、左大腿骨の化石を発見し[2]、ピテカントロプス・エレクトゥス(「直立歩行ができる猿人」の意、ジャワ原人)と名づけた。
- ^ "デュボア". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2021年4月10日閲覧。
- ^ イ・ワヤン・バドリカ著、石井和子監訳、田中正臣他訳『世界の教科書シリーズ20 インドネシアの歴史-インドネシア高校歴史教科書』明石書店 13ページ 2008年