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ホルベルト・カブレラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホルベルト・カブレラ
Jolbert Cabrera
野球コロンビア代表 監督
基本情報
国籍  コロンビア
出身地 ボリーバル県カルタヘナ
生年月日 (1972-12-08) 1972年12月8日(51歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手外野手
プロ入り 1990年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1998年4月12日
NPB / 2005年3月26日
最終出場 MLB / 2008年9月28日
NPB / 2006年10月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム コロンビアの旗 コロンビア
WBC 2013年

ホルベルト・アレクシス・カブレラ(Jolbert Alexis Cabrera, 1972年12月8日 - )は、コロンビアボリーバル県カルタヘナ出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

登録上のポジションは内野手だが、外野も守ることができた。

オーランド・カブレラは弟。

経歴

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エクスポズ傘下時代

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1990年7月3日に、モントリオール・エクスポズと契約を結びプロ入りを果たした。

1991年は、A級サムター・フラヤーズで101試合に出場し、1本塁打20打点10盗塁、打率.204だった。

1992年は、A級オールバニ・ポールキャッツで118試合に出場し、23打点22盗塁、打率.228だった。

1993年は、A級バーリントン・ビーズで128試合に出場し、38打点31盗塁、打率.254だった。

1994年は、A+級ウエストパームビーチ・エクスポズとAA級ハリスバーグ・セネターズでプレーした。A+級ウエストパームビーチでは83試合に出場し、13打点7盗塁、打率.203だった。

1995年も、A+級ウエストパームビーチとAA級ハリスバーグでプレーした。A+級ウエストパームビーチでは103試合に出場し、1本塁打25打点19盗塁、打率.286だった。

1996年は、AA級ハリスバーグで107試合に出場し、3本塁打29打点10盗塁、打率.285だった。

1997年は、AA級ハリスバーグとAAA級オタワ・リンクスでプレー。AAA級オタワでは68試合に出場し、12打点15盗塁、打率.283だった。10月17日にFAとなった。

インディアンス時代

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1998年1月19日に、クリーブランド・インディアンスと契約を結んだ。4月12日のアナハイム・エンゼルス戦でメジャーデビューを果たした。5回裏から遊撃の守備に就き、2打数無安打1三振に終わった。この年は1試合の出場にとどまった。

1999年は、30試合に出場し、打率.189だった。

2000年は、100試合に出場し、2本塁打15打点6盗塁、打率.251だった。

2001年は、141試合に出場し、1本塁打38打点10盗塁、打率.261だった。

2002年3月1日に、インディアンスと1年契約に合意したが、3月25日に15日間の故障者リスト入りした。5月2日に故障者リストから外れたが、6月4日にAAA級バッファロー・バイソンズへ降格。6月16日に再昇格したが、7月11日に再びAAA級バッファローへ降格した。インディアンスでは38試合に出場し、打率.111だった。

ドジャース時代

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2002年7月22日に、ランス・カラッチョリとのトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍。AAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレーしていたが、8月24日にメジャーへ昇格。10試合に出場し、打率.333だった。オフの12月14日にドジャースと1年契約に合意した。

2003年は、128試合に出場し、6本塁打37打点6盗塁、打率.282だった。

2004年1月31日に、ドジャースと1年契約に合意した。

マリナーズ時代

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2004年4月3日に、ライアン・ケッチナーとのトレードでシアトル・マリナーズへ移籍した。レギュラーとして113試合に出場した。打率2割7分、6本塁打と打撃面での派手さはないが、本職の二塁だけでなく外野もこなせるユーティリティープレーヤーで、この年も投手捕手を除くすべてのポジションを守り、守備面でもわずか6失策に留めた。

ソフトバンク時代

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2005年1月4日に、前年度オフに井口資仁が退団し、二塁を守れる選手の獲得が急務となっていた福岡ソフトバンクホークスと契約を結んだ。送球にやや難があり、打撃に専念させる目的でシーズン途中からは外野手での出場が専らだったが、シーズンを通してコンスタントに成績を残し、打率.297と健闘した。本塁打数こそ8本塁打に留まったものの、米大リーグでのポストシーズン出場の経験を活かし、プレーオフでは2本塁打と二塁打3本を放つ活躍をした。 オフには、若手育成を理由に同期入団のトニー・バティスタペドロ・フェリシアーノが僅か1年で解雇される中で残留した。

2006年は、開幕からスタメン出場を果たした。左翼守備は無難で肩も悪くなかったものの、シーズン中に病気で1度戦列を離れたのに加えて、明らかに長打を狙った打撃で調子を崩した。オフの10月14日に、球団側が来期の契約は結ばないことを発表された。11月15日に解雇通告を受けた。

カージナルス傘下時代

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2007年1月11日に、セントルイス・カージナルスとマイナー契約を結んだ。AAA級メンフィス・レッドバーズとA+級パームビーチ・カージナルスでプレー。AAA級メンフィスでは45試合に出場し、2本塁打8打点、打率.231だった。8月14日に放出された。

ロッキーズ傘下時代

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2007年8月16日に、コロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ。AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで19試合に出場し、2本塁打13打点、打率.329だった。オフの10月29日にFAとなった。

レッズ時代

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2007年12月18日に、シンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。

2008年6月10日に、レッズとメジャー契約を結んだ。6月21日に15日間の故障者リスト入りし、7月17日に復帰した。この年は48試合に出場し、3本塁打12打点2盗塁、打率.252だった。オフの10月7日にFAとなった。

オリオールズ傘下時代

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2009年1月12日に、ボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ。AAA級ノーフォーク・タイズで78試合に出場し、打率.262、7本塁打、50打点、9盗塁だった。11月9日にFAとなった。

メキシカンリーグ時代

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2010年1月15日に、ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだが、3月28日に放出された。その後、メキシカンリーグオアハカ・ウォーリアーズに入団した。83試合に出場し、打率.364、10本塁打、63打点、9盗塁だった。

2011年はメキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツで99試合に出場し、打率.300、19本塁打、74打点、2盗塁だった。

2012年は、プエブラ・パロッツで10試合に出場し、打率.147、本塁打、3打点だった。オフには39歳ながら第3回WBC予選のコロンビア代表に選出された[1]

2013年3月20日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだが、5月2日に放出された。

現役引退後

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2016年サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下ルーキー級AZLジャイアンツ英語版の打撃コーチに就任し、2017年はジャイアンツ傘下ショートシーズンA級セーラム=カイザー・ボルケーノス英語版の監督を務めた[2]

選手としての特徴・人物

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内外野をこなすことができる選手[3]。MLBでは投手、捕手以外すべてのポジションを経験している[3]。ソフトバンク在籍1年目の2005年には前半戦は内野手、後半戦は外野手として出場した[4]。打撃では広角に打ち分けることができる[5]

明るい性格でチームの人気者だった[4]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1998 CLE 1 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1999 30 39 37 6 7 1 0 0 8 0 3 0 0 0 1 0 1 8 1 .189 .231 .216 .447
2000 100 187 175 27 44 3 1 2 55 15 6 4 1 1 8 0 2 15 1 .251 .290 .314 .605
2001 141 312 287 50 75 16 3 1 100 38 10 4 1 2 16 0 6 41 4 .261 .312 .348 .660
2002 38 79 72 5 8 1 0 0 9 7 1 1 0 1 5 0 1 13 3 .111 .177 .125 .302
LAD 10 15 12 3 4 1 0 0 5 1 0 0 1 0 2 0 0 2 0 .333 .429 .417 .845
'02計 48 94 84 8 12 2 0 0 14 8 1 1 1 1 7 0 1 15 3 .143 .215 .167 .382
2003 128 380 347 43 98 32 2 6 152 37 6 4 3 3 17 3 10 62 10 .282 .332 .438 .770
2004 SEA 113 391 359 38 97 19 2 6 138 47 10 3 3 5 16 1 8 70 13 .270 .312 .384 .696
2005 ソフトバンク 131 505 454 53 135 23 1 8 184 58 3 7 2 4 41 6 4 78 17 .297 .358 .405 .763
2006 90 375 342 41 89 21 1 8 136 50 6 1 0 4 24 0 5 52 11 .260 .315 .398 .712
2008 CIN 48 126 115 17 29 6 1 3 46 12 2 0 0 1 8 1 2 29 3 .252 .310 .400 .710
MLB:8年 609 1531 1406 189 362 79 9 18 513 157 38 16 9 13 73 5 30 241 35 .257 .306 .365 .670
NPB:2年 221 880 796 94 224 44 2 16 320 108 9 8 2 8 65 6 9 130 28 .281 .339 .402 .741

記録

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NPB

背番号

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  • 6 (1998年 - 2001年)
  • 10 (2002年)
  • 50 (2002年)
  • 6 (2003年)
  • 12 (2004年)
  • 30 (2005年 - 2006年)
  • 54 (2008年)

代表歴

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脚注

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  1. ^ 2012 Qualifier Roster[リンク切れ] WBC公式サイト (英語) 2015年2月24日閲覧
  2. ^ Gary Horowitz (2017年6月14日). “Salem-Keizer Volcanoes set to open 21st season”. Statesman Journal. 2022年4月14日閲覧。
  3. ^ a b 『野球小僧 世界野球選手名鑑2005』白夜書房、2005年、28頁頁。ISBN 4-86191-015-3 
  4. ^ a b 『応援ありがとう!2005福岡ソフトバンクホークス激闘の軌跡』ソフトバンククリエイティブ、2005年、84頁頁。ISBN 4-7973-3331-6 
  5. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2006』白夜書房、2006年、30頁頁。ISBN 4-86191-134-6 

関連項目

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外部リンク

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