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ペギー・アシュクロフト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デイム・ペギー・アシュクロフト
Dame Peggy Ashcroft
Dame Peggy Ashcroft
本名 Edith Margaret Emily Ashcroft
生年月日 (1907-12-22) 1907年12月22日
没年月日 (1991-06-14) 1991年6月14日(83歳没)
国籍 イギリスの旗 イギリス
配偶者 Rupert Hart-Davis (1929-1933)
Theodore Komisarjevsky (1934-?)
Jeremy Hutchinson (1940-1965)
主な作品
インドへの道
受賞
アカデミー賞
助演女優賞
1984年インドへの道
ヴェネツィア国際映画祭
女優賞
1989年おかえりなさい、リリアン
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演女優賞
1984年インドへの道
ロサンゼルス映画批評家協会賞
助演女優賞
1984年インドへの道
英国アカデミー賞
主演女優賞
1984年インドへの道
ゴールデングローブ賞
助演女優賞
1984年インドへの道
ローレンス・オリヴィエ賞
新作戯曲主演女優賞
1976年Old World
その他の賞
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デイム・ペギー・アシュクロフト, DBEDAME Peggy Ashcroft, 出生名: Edith Margaret Emily Ashcroft, 1907年12月22日 - 1991年6月14日)は、イギリス女優サリークロイドン出身。

来歴

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演劇学校卒業後、ローレンス・オリヴィエジョン・ギールグッドと共演した『ロミオとジュリエット』など、主にシェークスピア作品の舞台に多く出演。1933年の『声なき凱歌』で映画デビューを果たす。1951年にイギリス王室からCBEを、1956年にはDBEの称号を受け取る。

1984年公開の『インドへの道』でアカデミー助演女優賞を受賞する。この時77歳で、この部門の最年長受賞者となった。1989年公開の『おかえりなさい、リリアン』でヴェネツィア国際映画祭女優賞とイタリア批評家賞を受賞。

1991年、脳卒中で亡くなる(83歳)。

主な出演作品

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公開年 邦題
原題
役名 備考
1933 声なき凱歌
The Wandering Jew
Olalla Quintana
1935 三十九夜
The 39 Steps
クロフターの妻
1939 十二夜
Twelfth Night
ヴァイオラ テレビ映画
テンペスト
The Tempest
ミランダ テレビ映画
1959 尼僧物語
The Nun's Story
マザー・マチルダ
1968 秘密の儀式
Secret Ceremony
ハンナ
1969 濡れてる牝猫
Three Into Two Won't Go
ベル
1971 日曜日は別れの時
Sunday, Bloody Sunday
アレックスの母
1977 ジョゼフ・アンドリュースの華麗な冒険
Joseph Andrews
レディ・タトル
1978 マハラジャ・優雅なる苦悩
Hullabaloo Over Georgie and Bonnie's Pictures
Lady Gee テレビ映画
1980 コーヒーにクリームを
Cream in My Coffee
ジェーン・ウィルシャー テレビ映画
1984 インドへの道
A Passage to India
ムーア夫人 アカデミー助演女優賞 受賞
ゴールデングローブ賞 助演女優賞 受賞
英国アカデミー賞 主演女優賞 受賞
1986 風が吹くとき
When the Wind Blows
ヒルダ 声の出演
1988 マダム・スザーツカ
Madame Sousatzka
レディ・エミリー
デス・ヒート/スパイを愛した女
A Perfect Spy
Miss Dubber テレビ・ミニシリーズ
1989 おかえりなさい、リリアン
Screen One: She's Been Away
リリアン テレビシリーズ
ヴェネチア国際映画祭女優賞 受賞

参照

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外部リンク

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