ベニー・ゴルソン
ベニー・ゴルソン Benny Golson | |
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ベニー・ゴルソン(2006年) | |
基本情報 | |
生誕 | 1929年1月25日(95歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア |
ジャンル | ジャズ、ビバップ、ハード・バップ |
職業 | サクソフォーン奏者、作曲家、編曲家 |
担当楽器 | テナー・サクソフォーン |
公式サイト |
www |
ベニー・ゴルソン(Benny Golson、1929年1月25日 - )は、アメリカのジャズ・サクソフォーン奏者ならびに作曲家・編曲家である。
本来テナー・サクソフォーン奏者で、演奏家としてはハード・バップ・スタイルの豪放な奏法を持ち味とするが、モダン・ジャズ界ではむしろ洗練された作曲・編曲の才で評価され、クインシー・ジョーンズ、ジジ・グライス、オリヴァー・ネルソンと並んで、1950年代から1960年代にかけてのハード・バップ最盛期における代表的なジャズ編曲者の一人と見られている。
その優れた編曲は「ゴルソン・ハーモニー」とまで称され、また作曲したナンバーの多くが、現代まで演奏されるジャズ・スタンダードとなっている。
経歴[編集]
初期[編集]
ペンシルベニア州フィラデルフィアの高校在籍中から音楽活動を開始し、ジョン・コルトレーン、レッド・ガーランド、ジミー・ヒース、パーシー・ヒース、フィリー・ジョー・ジョーンズ、レッド・ロドニーなど、後に大成する多くのジャズ・ミュージシャンと交友を深めた。
ハワード大学を卒業したゴルソンは、ブル・ムース・ジャクソンのリズム&ブルース・バンドに参加し、このバンドに属していたピアニストのタッド・ダメロン(1917年 - 1965年)から薫陶を受けた。ダメロンは生前は過小評価されてはいたが、初期モダンジャズのビバップの分野において作曲家・編曲家としての重要な業績を残した人物である。
1953年以降、ゴルソンはダメロンのバンドで働いたほか、著名なヴィブラフォン奏者ライオネル・ハンプトンのビッグバンドや、デューク・エリントン楽団の名サックス奏者として知られるジョニー・ホッジスのバンドで演奏して経験を積んだ。リズム&ブルースの人気サックス奏者アール・ボスティックのバンドにも参加した時期がある。また一時は、トランペッターでビバップの創始者の一人であるディジー・ガレスピーのビッグバンドに加わった。
中期[編集]
ハンプトンやガレスピーのバンドでは作・編曲者としても活動し、ビッグバンド向けのモダンな編曲スタイルを身に付けている。この頃(1955年 - 1956年)に作曲した「ステイブルメイツ (Stable Mates)」、「ウィスパー・ノット (Whisper Not)」などのナンバーは早くからジャズ界の人気曲となっている。特に哀調を帯びたバラード「ウィスパー・ノット」はリロイ・ジャクソンの歌詞(レナード・フェザー作詞説もあるが誤り)を得て、ジャズ・ボーカリストにも好んで取り上げられるジャズ・スタンダードの歌曲となった。
またハンプトンのバンドでは、ハード・バップ期初期の天才的トランペッターであるクリフォード・ブラウンとも交友を深めたが、その後ブラウンは1956年にわずか25歳で自動車事故死した。卓越した演奏家で高潔な人格者でもあったブラウンの死に、ゴルソンは深いショックを受けた。そこで彼はブラウンの追悼曲作曲を決意し、数週間に渡って苦心を重ねた末、「クリフォードの想い出 (I Remember Clifford)」を完成させた。この美しい旋律を持ったバラードは、1957年にリー・モーガンのブルーノート版アルバム『リー・モーガンVol.3』で世に出て以来広く演奏されるようになり、後にジョン・ヘンドリックスの歌詞によって歌曲化されるなどして、ゴルソンの最も有名な作品になった。ジョン・ルイスがジャンゴ・ラインハルトを追悼して作曲した「ジャンゴ」(1954年)と並んで、ジャズ・ミュージシャンを追悼した曲の中でもよく知られており、ソニー・ロリンズやキース・ジャレット・トリオ等、多くのミュージシャンに繰り返し演奏されるスタンダードとなっている。
1957年には初のリーダー・アルバム『ニューヨーク・シーン』をコンテンポラリー・レコードで録音。編曲センスを十分に発揮し、ノネット(9人編成)で、遙かに大規模なビッグバンドばりに厚みのあるサウンドを構成して見せた。
翌1958年、ドラマーのアート・ブレイキーが率いるバンド「ジャズ・メッセンジャーズ」に参加、ここでもサックス演奏以上に作曲家・編曲家としての技量を示し、短い在籍期間に、ジャズ・メッセンジャーズ全体のスタイルに大きな影響を与えた。また、同バンドのピアニストであるボビー・ティモンズ(メッセンジャーズの大ヒット曲「モーニン」の作曲者として知られる)と共に、ジャズ・メッセンジャーズのレパートリーとなる曲を多く作曲した。この時期に作曲したナンバーからも「アロング・ケイム・ベティ」「キラー・ジョー」「ファイブ・スポット・アフター・ダーク」など、多くの曲がジャズ・スタンダードになっている。
ゴルソンは、ジャズ・メッセンジャーズ脱退後の1959年から、知的な奏風を持つトランペッター、アート・ファーマーとの双頭バンド「ジャズテット (Jazztet)」を組み、入念な編曲を伴う洗練されたハード・バップ演奏を行った。
その後[編集]
1962年のジャズテット解散後しばらくしてゴルソンはジャズの第一線から退き、主にスタジオ・ミュージシャン及びオーケストレーションの分野で働いた。1960年代から1970年代にかけては『鬼警部アイアンサイド』『M*A*S*H』などのテレビ番組用音楽の仕事に当たっていた。
1970年代中期に、ゴルソンはジャズ界に復帰して活動を再開、1983年には「ジャズテット」の再結成も行っている。以後は定期的にアルバムを発表し、2005年時点でも音楽活動を続けている。1995年には「ナショナル・エンデューメント・フォー・ジ・アーツ」のジャズ・マスター・アウォードを受賞した。
ゴルソンは2004年のスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『ターミナル』に、本人役でカメオ出演し、出番は少ないとはいえマクガフィン的な役割を担った[1]。
ディスコグラフィ[編集]
リーダー・アルバム[編集]
- 『ニューヨーク・シーン』 - Benny Golson's New York Scene (1957年、Contemporary)
- 『ザ・モダン・タッチ』 - The Modern Touch (1957年、Riverside)
- 『ジ・アザー・サイド・オブ・ベニー・ゴルソン』 - The Other Side of Benny Golson (1958年、Riverside)
- 『ベニー・ゴルソン・アンド・ザ・フィラデルフィアンズ』 - Benny Golson and the Philadelphians (1958年、United Artists)
- 『ゴーン・ウィズ・ゴルソン』 - Gone with Golson (1959年、New Jazz)
- 『グルーヴィン・ウィズ・ゴルソン』 - Groovin' with Golson (1959年、New Jazz)
- 『ウインチェスター・スペシャル』 - Winchester Special (1959年、New Jazz) ※with レム・ウインチェスター
- 『ゲティン・ウィズ・イット』 - Gettin' with It (1959年、New Jazz)
- 『テイク・ア・ナンバー・フロム 1 トゥ 10』 - Take a Number from 1 to 10 (1961年、Argo)
- Pop + Jazz = Swing (1962年、Audio Fidelity)
- 『ターニング・ポイント』 - Turning Point (1962年、Mercury) ※with ウィントン・ケリー・トリオ
- 『フリー』 - Free (1963年、Argo) ※1962年録音
- 『ローランド・カーク・カルテット Meets ザ・ベニー・ゴルソン・オーケストラ』 - The Roland Kirk Quartet Meets the Benny Golson Orchestra (1964年、Mercury) ※with ローランド・カーク
- Stockholm Sojourn (1964年、Prestige)
- Tune In, Turn On (1967年、Verve)
- Killer Joe (1977年、Columbia)
- 『カリフォルニア・メッセージ』 - California Message (1981年、Baystate) ※with カーティス・フラー
- 『ワン・モア・メモリー』 - One More Mem'ry (1982年、Baystate) ※with カーティス・フラー
- 『タイム・スピークス』 - Time Speaks (1983年、Baystate) ※with フレディ・ハバード、ウディ・ショウ
- 『ディス・イズ・フォー・ユー、ジョン』 - This Is for You, John (1984年、Baystate)
- 『スターダスト』 - Stardust (1987年、Denon) ※with フレディ・ハバード
- 『郷愁のブランデンブルグ』 - Brandenburg Concertos (1989年、Alfa Jazz) ※with ニューヨーク・オーケストラ・フィーチャリング・アート・ファーマー
- 『アップ・ジャンプド・スプリング』 - Benny Golson Quartet (1990年、LRC Ltd.)
- Benny Golson Quartet Live (1991年、Dreyfus) ※1989年録音
- 『ブルース・マーチ』 - Domingo (1992年、Dreyfus)
- 『アイ・リメンバー・マイルス』 - I Remember Miles (1993年、Alfa Jazz)
- 『ザッツ・ファンキー』 - That's Funky (1995年、Meldac Jazz)
- Tenor Legacy (1996年、Arkadia Jazz)
- Up Jumped Benny (1997年、Arkadia Jazz)
- 『クリフォードの思い出』 - Remembering Clifford (1998年、Milestone)
- 『リジェンド・オブ・ジャズ・クラブ』 - Legend Of Jazz Club (1999年、M&I Jazz) ※with カーティス・フラー
- 『ONE DAY FOREVER』 - One Day, Forever (2001年、Arkadia Jazz) ※with 山岡未樹、1996年-2000年録音
- 『ターミナル』 - Terminal 1 (2004年、Concord)
- 『フレディ・ハバード~ベニー・ゴルソン』 - Freddie Hubbard - Benny Golson (2008年、Groove Merchant) ※with フレディ・ハバード
- 『ニュー・ジャズテット』 - New Time, New 'Tet (2009年、Concord)
- 『永遠のブラウニー』 - Brown Immortal (2009年、Videoarts) ※1997年録音
- Horizon Ahead (2016年、HighNote)
脚注[編集]
- ^ Heckman, Don (2004年7月4日). “A talent for landing in the pictures”. Los Angeles Times. 2023年7月6日閲覧。
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト
- Listening In: An Interview with Benny Golson by Bob Rosenbaum, Los Angeles, February 1982 (PDF file)
- Benny Golson - IMDb(英語)
- Benny Golson Recreates His Great 'Jazztet' NPR Interview 2009 Jan 24
- Benny Golson Interview at underyourskin - YouTube
- ベニー・ゴルソン - Discogs