バリー・ダーソウ
バリー・ダーソウ | |
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デモリッション・スマッシュ(2008年) | |
プロフィール | |
リングネーム |
デモリッション・スマッシュ リポマン クラッシャー・クルスチェフ クラッシャー・ダーソウ ブラックトップ・ブリー スーパー・デストロイヤー21号 |
本名 | バリー・アレン・ダーソウ |
身長 | 193cm |
体重 | 135kg(全盛時) |
誕生日 | 1959年10月6日(65歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ミネソタ州 ヘネピン郡ミネアポリス |
トレーナー | エディ・シャーキー |
バリー・ダーソウ(Barry Allen Darsow、1959年10月6日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミネソタ州ミネアポリス出身。
クラッシャー・クルスチェフ(Krusher Khruschev)、デモリッション・スマッシュ(Demolition Smash)、リポマン(Repo Man)など、様々なキャラクターで活躍した。
来歴
[編集]地元ミネアポリスでエディ・シャーキーのトレーニングを受けた後、スチュ・ハートが主宰するカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングにてハワイ行きを打診され、1980年代初頭にハワイでデビュー[1]。以後、ニュージーランドやジョージアなどを転戦し、1983年下期よりクラッシャー・ダーソウのリングネームでビル・ワットのMSWAに登場[2]。ランバージャックをイメージした大型ヒールとして、ジャンクヤード・ドッグやジム・ドゥガンと対戦した。その後、ロシア人ギミックのクラッシャー・クルスチェフ(ロシア語の読みではフルシチョフ)に変身し、ニコライ・ボルコフのパートナーとなって頭角を現す。NWAのフロリダ地区では1984年10月3日、ジム・ナイドハートと組んで同地区認定のUSタッグ王座を獲得した[3]。
1985年よりジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区に参戦し、イワン・コロフ&ニキタ・コロフとのロシア人ユニット「ザ・ラシアンズ」の一員となって活躍[4]。ニキタ・コロフと組んでのロード・ウォリアーズとの抗争は、同地区のドル箱カードとなった[1]。同年11月28日にはトーナメントの決勝でサム・ヒューストンを破り、前王者バズ・タイラーの離脱で空位となっていたNWAミッドアトランティック・ヘビー級王座を獲得している[5]。
1986年は1月と10月にニキタ・コロフとのザ・ラシアンズとして全日本プロレスに2回来日[6][7]。ジャンボ鶴田&天龍源一郎の鶴龍コンビや、ジャパンプロレスの長州力&アニマル浜口とも対戦した[8]。同年9月28日、新設されたミッドアトランティック版USタッグ王座の争奪トーナメントにイワン・コロフと組んで出場[9]。準決勝でダスティ・ローデス&マグナムTA、決勝でボビー・ジャガーズ&ダッチ・マンテルのカンザス・ジェイホークスを破り、初代王者チームとなった[10]。
1987年、WWFに移籍。ロシア人ギミックを捨てて顔面にペイントを施し、デモリッション・スマッシュと改名。デモリッション・アックスとのタッグチーム「デモリッション」の一員となり[4]、WWF世界タッグ王座を3回に渡って獲得する[11]。アックスの離脱後はデモリッション・クラッシュをパートナーに、チーム・リーダーとなって活躍した。1991年には、当時のWWFの日本での提携先だったSWSに来日している[12]。
デモリッション解散後の1991年下期からは、新ギミックのリポマンに変身(リポマンとは "Repossession Man" の略で、借金を払わない債務者から自動車を盗む集団の俗称)[4]。黒いアイマスクで顔を隠し、入場時も周囲の人目を気にしながらリングイン。凶器も車の牽引ロープやスチールホイールを用いるなど徹底したキャラクター設定のもと、卑劣かつコミカルな中堅ヒールとして悪党人気を集めた。ダーソウ自身も、リポマンのキャラクターを演じることを楽しんでいたという[1]。
1994年にはWCWに登場。ブラックトップ・ブリー(Blacktop Bully)のリングネームで主に前座要員として試合を行うが1995年に解雇される[4]。その後は地元ミネソタ州のプロレスリング・アメリカやシカゴのAWFなどインディー団体を転戦。WCWにも本名のバリー・ダーソウとして、"Mr. Hole in One" をニックネームにゴルファーのギミックで単発出場した[4]。
2000年9月、ウォーリー山口が主宰していた日本のインディー団体「世界のプロレス」に来日。NWAジャパン・ワールド・タッグリーグにおいてビル・アーウィンのパートナーを務め、ビルの兄スコット・アーウィンのギミック「スーパー・デストロイヤー」にあやかり、覆面を被ってスーパー・デストロイヤー21号(The Super Destroyer #21)を演じた。リポマンの名義でも試合を行ったが、コスチュームはブラックトップ・ブリー時代のものだった。
2001年4月1日、レッスルマニアX-Sevenのギミック・バトルロイヤルでリポマンとして久々にWWEに登場[13]。2007年12月10日のRAW15周年大会でのオールドタイマーによるバトルロイヤルにも参加した[14]。
その後もインディー団体へのスポット参戦を続け、2008年2月29日にはチカラで行われた6人タッグマッチのトーナメントに、アックス&ワンマン・ギャングとの "Team WWF" として出場した[15]。
2010年代もアックスとのデモリッションで各地のインディー団体に度々出場[4]。2017年3月18日には、ラシアンズ時代の主戦場だったノースカロライナを本拠地とするNCWAのイベントにおいて、ロックンロール・エクスプレスと6人タッグマッチで対戦した[16]。
得意技
[編集]- クロウバー(リポマン時代に用いていた逆片エビ固め。技の体勢を、車のタイヤ外しに用いられる工具(Crowbar)の形状に見立てたネーミング)
- クローズライン
- エルボー・ドロップ
- ペンデュラム・バックブリーカー
獲得タイトル
[編集]- ミッドサウスTV王座:1回(初代王者)[17]
- NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:1回[5]
- NWA USタッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / イワン・コロフ)[10]
- NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):2回(w / イワン&ニキタ・コロフ)[18] ※3者でタイトルを共有
- NWA世界6人タッグ王座(ミッドアトランティック版):2回(w / イワン&ニキタ・コロフ)[19]
- WWF世界タッグ王座:3回(w / デモリッション・アックス)[11]
- インディー
- GLCWタッグ王座:1回(w / デモリッション・アックス)
- USXWタッグ王座:1回(w / デモリッション・アックス)
- IAWタッグ王座:1回(w / ポール・ローマ)
脚注
[編集]- ^ a b c “Barry Darsow: Happy to be done wrestling Reflecting on a long list of characters”. Slam Wrestling (2001年4月5日). 2010年2月3日閲覧。
- ^ “The UWF matches fought by Barry Darsow in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年12月22日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
- ^ a b c d e f “Barry Darsow”. Online World of Wrestling. 2023年2月19日閲覧。
- ^ a b “NWA Mid-Atlantic Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月23日閲覧。
- ^ “AJPW 1986 New Year Wars”. Puroresu.com. 2015年12月22日閲覧。
- ^ “AJPW 1986 Giant Series”. Puroresu.com. 2015年12月22日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Barry Darsow in 1986”. Wrestlingdata.com. 2015年12月22日閲覧。
- ^ “MACW 1986/09/28”. Cagematch.net. 2016年4月23日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Tag Team Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2012年2月15日閲覧。
- ^ a b “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月19日閲覧。
- ^ “The SWS matches fought by Barry Darsow in 1991”. Wrestlingdata.com. 2015年12月22日閲覧。
- ^ “WWF WrestleMania X-7”. Cagematch.net. 2015年12月22日閲覧。
- ^ “WWE Monday Night RAW #759 - 15th Anniversary”. Cagematch.net. 2015年12月22日閲覧。
- ^ “CHIKARA King Of Trios 2008 - Tag 2”. Cagematch.net. 2015年12月22日閲覧。
- ^ “NCWA 9th Annual Ivan Koloff Tag Team Tournament”. Cagematch.net. 2023年2月3日閲覧。
- ^ “Mid-South Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月2日閲覧。
- ^ “NWA World Tag Team Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月6日閲覧。
- ^ “NWA World 6-Man Tag Team Title History [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月6日閲覧。