バックウィート・ザディコ
バックウィート・ザディコ | |
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バックウィート・ザディコ (2006) | |
基本情報 | |
出生名 | Stanley Dural, Jr. |
生誕 |
1947年11月14日 米国ルイジアナ州ラファイエット |
死没 |
2016年9月24日(68歳没) 米国ルイジアナ州ラファイエット |
ジャンル | ザディコ |
職業 | アコーディオン奏者、歌手 |
担当楽器 | アコーディオン |
活動期間 | 1971年〜2016年 |
レーベル |
ブラックトップ・レコード ラウンダー・レコード アイランド・レコード トモロー・レコーディングス アリゲーター・レコード |
公式サイト | Buckwheatzydeco.com |
バックウィート・ザディコ (Buckwheat Zydeco、1947年11月14日 - 2016年9月24日) は、米国ルイジアナ州出身のザディコ・ミュージシャン。本名は、スタンリー・デュラル・ジュニア。鍵盤アコーディオンをプレイし、クリフトン・シェニエの築いたブルース、ロックンロール色の濃いサウンドをベースにしながらも、ロック、ポップを積極的に取り入れ独自の世界を作り上げた。大手レーベルアイランド・レコードからアルバムをリリースするなど、地元色の強いザディコ音楽の中では数少ないメジャーな展開をしたアーティストのひとりである。
来歴
[編集]ルイジアナ州ラファイエットに生まれた。編み毛の形状からバックウィート(そばの実)のあだ名で呼ばれるようになった[1]。
1971年、バックウィートはファンク・バンド、バックウィート&ザ・ヒッチハイカーズを結成し、活動を開始する。1976年にクリフトン・シェニエのバンドにオルガン奏者として加入した。
1979年、自身のザディコ・バンド、イル・ソン・パティー (Ils Sont Partis Band) を結成する。バンド名は、「ヨーイドン」の意で、ラファイエットの競馬場での掛け声から名付けたものである[1]。同年、ブルース・アンリミテッド・レーベルからOne for the Roadでデビューを果たした。
その後、ブラックトップ、ラウンダーからアルバムをリリースしたのち、アイランド・レコードと契約。同レーベル2作目となる「Taking It Home」(1988年)ではゲストにエリック・クラプトンを迎え、デレク&ザ・ドミノスの「恋は悲しきもの」でクラプトンとのバトルを披露した。
1989年4月に初来日し、川崎、東京、神戸、京都、大阪で公演を行っている[2]。
自身のレーベル、トモロー・レコーディングスからアルバムを3枚リリースのち、シカゴのブルース・レーベル、アリゲーター・レコードと契約。2009年、「Lay Your Burden Down」をリリースした。
2016年9月24日、肺がんのため、ルイジアナ州ラファイエットの病院にて死去。享年68[3]。
ディスコグラフィー
[編集]- 1979年 One for the Road (Blues Unlimited)
- 1980年 Take It Easy Baby (Blues Unlimited)
- 1983年 100% Fortified Zydeco (Black Top)
- 1983年 Turning Point (Rounder)
- 1985年 Waitin' for My Ya Ya (Rounder)
- 1987年 Buckwheat's Zydeco Party (Rounder)
- 1987年 On a Night Like This (Island)
- 1988年 Taking It Home (Island)
- 1990年 Where There's Smoke There's Fire (Island)
- 1992年 On Track (Charisma)
- 1994年 Choo Choo Boogaloo (Music for Little People)
- 1994年 Five Card Stud (Island)
- 1997年 Trouble (Atlantic/Tomorrow Recordings)
- 2001年 Down Home Live (Tomorrow Recordings)
- 2005年 Jackpot! (Tomorrow Recordings)
- 2009年 Lay Your Burden Down (Alligator Records)