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ノート:赤城宗徳

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 以前、「来歴・人物」の 《(「どうしてもやれと言うなら、国民に対し責任を取る意味で発令と共に辞表を出します」と答えたという)。》 という箇所に「要出典」と付していたところ、ある方が「60年安保闘争」[1] へのリンクを貼っておられますが、私の意図と異なるものでしたので、再度「要出典」とするとともに趣旨を説明します。赤城宗徳が自衛隊の出動に反対したというエピソードはよく知られていますが、「どうしてもやれと言うなら、国民に対し責任を取る意味で発令と共に辞表を出します」と答えたという話は、このウィキペディアの記事で初めて知りました。発令とともに辞表を出せば、発令は法的には有効ですから、出動を阻止することはできません。普通に考えれば、発令は断固として拒否する、どうしてもと言うなら私は辞任するから別の者にやらせてくれとなるのではないでしょうか。そのため、「発令と共に辞表を出します」という記述に違和感を覚え、出典を求めたのです。リンク先の「60年安保闘争」によると、赤城は「仕方なく辞表を懐にして行った」「出動を命じられれば、辞表を出す他なかった」と述べたとありますが、発令と共に辞表を出すと述べたとはありません。ですから、私の疑問は解消されませんでした。発令と共に辞表を出すと述べたという根拠の提示を求めます。--深沢明人 2008年2月2日 (土) 03:55 (UTC)[返信]

記述から“そのつもりであった”事は明白です。「要出典」を外します。--220.157.207.119 2008年2月16日 (土) 07:10 (UTC)[返信]
「記述から」とは「60年安保闘争」の記述のことでしょうか。「60年安保闘争」中の、「国軍に国民を撃てとは私には命じられない。だから出動を命じられれば、辞表を出す他なかった。」という赤城の回顧は、むしろ発令を拒否して辞表を提出するつもりだったと読み取れるように思います。さらに、仮に“そのつもりであった”としても、“つもり”にとどまるのならば、本文の「発令と共に辞表を出します」と答えたという)」の根拠とは成り得ません。私は本文のこの箇所の根拠を求めているだけで、他意はありません。「要出典」に戻させていただきました。--深沢明人 2008年2月19日 (火) 10:26 (UTC)[返信]