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ノート:ディフェンドゥー

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真之神道流柔術[編集]

「天皇に日本武術を指導したと称するオカダなる日本人から真之神道流柔術を学んだ。」とありますが「真之神道流柔術」だというのは、具体的には、どの文献の何ページに書いてあるのでしょうか?出典が不明確で確認できません。脚注に「フェアバーンの書いた技術解説書『Defendu』 並びに『Scientific Self-Defense』の冒頭は、オカダとフェアバーンが腕を組んだツーショットであることからもオカダの技法を基にしていることが分かる。」とありますが、それらに記述があるのでしょうか?フェアバーンの著書「GET TOUGH! How to win in hand-to-hand fighting」(1972)の前書きには「They owe something to the famous Japanese judo (jiu-jutso), and something else to Chinese boxing.」とありますが、柔術の流派について記述がありませんでした。--イキな体位会話2021年2月6日 (土) 06:54 (UTC)[返信]

フェアバーンの著書を読みましたが、真之神道流柔術とはどこにも書かれておりませんでした。
1907年上海租界の日本人の記録を調べたところ柔術指南所を開いていた岡田という人物を見つけましたが流派は真之神道流ではありませんでした。岡田整骨院もありました。
外国のサイトやウィキ等でも真之神道流と出ていることから間違った情報が広まったものと思われます。--夢之枕会話2022年4月10日 (日) 10:33 (UTC)[返信]
英語版のフェアバーンen:William_E._Fairbairnだと"tenshinshinyo ry jiu jitsu from Okada-sensei" ってなってますね--秋山夕子会話2024年5月31日 (金) 04:10 (UTC)[返信]
英語版の Parenthood "Jujutsu, Boxing, Wrestling, Savate, Judo, street fighting Chinese martial arts" から、「源流:天神真楊流柔術、ボクシング、レスリング、サバット、講道館柔道、中国武術」に改めましょうか?
そういえば、夢之枕さんの参照した記録にはどのように記述されていたのでしょうか。--秋山夕子会話2024年5月31日 (金) 04:26 (UTC)[返信]
確認しましたが確かに英語版wikiには天神真楊流と書かれていますね。
私が見た資料もフェアバーンが〇〇流を学んでいたと明確に書かれているものではないです。
初期の技法内容や下記の点から考えると楊心古流(戸塚派楊心流)が一番可能性が高いと思っています。
当時の新聞記事に載っている上海で柔術道場を開いていた岡田の流派は楊心流であり、真之神道流や天神真楊流ではないです。
真之神道流も天神真楊流も楊心流系ではあるので何か根拠があるのかもしれませんが、フェアバーンの著書には流派名が書かれていないことから流派名を明記する必要はないと思います。
以下は楊心古流と思う理由です。
  • 1909年上海の日本人職業別住所一覧に岡田直次郎の接骨院が載っている。住所は文路。フェアバーンによると岡田は柔術と接骨をやっていたらしい。当時の上海には接骨院は一件だけしかない。
  • 1907年に岡田師範という人物が乍浦路に楊心流柔術を教える道場を開いた。フェアバーンが上海に来たのは1907年。
  • 岡田の道場開きには、藍澤重次郎(戸塚彦介の高弟)から楊心流免許を貰った医者が出席して剣術を演武している。岡田は楊心流柔術型を演武。
  • フェアバーンの看板技の掌で顎を返して倒すチンジャブは天神真楊流や真之神道流にはない。戸塚派楊心流にはこの技が多い。
  • 岡田については、「天皇に日本武術を指導したと称するオカダ」とwikiに書かれているが、実際は「柔術師範、帝の個人教師の2番目の弟子」と記されてる。本人が指導したとは書かれていない。天皇の個人教師は山岡鉄舟のことと考えられる。岡田がどこで学んだか不明だが、山岡鉄舟が関わっていた1884年に発足した剣槍柔術永続社の柔術は楊心古流である。前述の道場開きに出席した医者の師匠に当たる藍澤重次郎も無職の時に山岡鉄舟の推薦で宮家の家扶となっている。
--夢之枕会話2024年6月2日 (日) 13:35 (UTC)[返信]
すばらしいご返信をありがとうございます。
出典にしますので本出して下さい!--秋山夕子会話2024年6月4日 (火) 07:43 (UTC)[返信]
想像の域を出ないのでなかなか本を書くのは難しいですね。岡田師範の経歴がはっきり分かれば書けるかもしれませんが。
最近の武術関係のwikiではこのようなやり取りをしてくれる方が、あまりいないのでとても嬉しく思います。
資料はネットで見ることができるのでぜひご覧ください。
既報と書かれているので1907年の他の上海日報の記事にも出ているはずですが、物が残っていないのか日本で所蔵している図書館が見つからないですね。--夢之枕会話2024年6月4日 (火) 11:42 (UTC)[返信]
上海日報、「欠多し」とありますが、東京大学にあるみたいです。
http://www.meitan.j.u-tokyo.ac.jp/detail/2843
この時代の上海を舞台にした格闘小説など読んでみたいですね(余談でした)。--秋山夕子会話2024年6月5日 (水) 05:52 (UTC)[返信]
上海日報の情報ありがとうございます。
東京大学の図書館にあるとは知りませんでした。
1907年の記事もありそうなので近いうちに見に行こうかなと思います。
明治の上海租界武術はまだあまり調べられていないようなので、今後研究が進んだら小説とかの題材になることがあるかもしれませんね。--夢之枕会話2024年6月5日 (水) 22:00 (UTC)[返信]

改名の提案[編集]

このページの名称を「フェアバーン・システム」から「ディフェンドゥー」への改名を提案します。理由ですが、そもそも、フェアバーンが開発した格闘術の名称は、ウィキペディアの英語版や他の言語版では「ディフェンドゥー」となっています。また、海外では「フェアバーン・システム」という名称よりも「ディフェンドゥー」の方が一般的なようです。Googleでの検索でも「Defendu」は約 5,340,000 件、「Fairbairn system」約 898,000 件と、なっています。他にも、ディフェンドゥーとは?のページによると、歴史的にもディフェンドゥーの方が正しいようです。そのため、改名の提案を致します。--Roo13roo 2012年2月28日 (火) 13:18 (UTC)[返信]

改名の提案後、1週間以上経ちましたが異論が出なかったため、改名を実施しました。--Roo13roo会話2012年3月9日 (金) 13:59 (UTC)[返信]

統合の提案[編集]

過去に「フェアバーン・システム」から「ディフェンドゥー」に改名されているにも関わらず、新たに、[フェアバーン・システム]の記事が作られているため、「フェアバーン・システム」の「ディフェンドゥー」への統合を提案します。また、ノート:フェアバーン・システムで該当記事の削除を提案しましたが異議は出ていません。--Winterseagull会話2015年10月26日 (月) 16:07 (UTC)[返信]

フェアバーン・システムの記事とディフェンドゥーの記事は、その歴史などで全く同じ記述がありますし、統合した方が良いと思います。ただし「フェアバーン・システム」の記事によれば、1907年以降に「ディフェンドゥー」が開発され、1940年代に「サイレント・キリング」へと発展して、現在「フェアバーン・システム」と認識されるようになった、といった感じですから、「フェアバーン・システム」の「ディフェンドゥー」への統合ではなく、「ディフェンドゥー」を「フェアバーン・システム」へと統合する方が良いと思います。--イキな体位会話2021年2月6日 (土) 07:45 (UTC)[返信]
終了 議論停止から1か月以上経過したため終了とします。必要であれば再度提案を提出してください。--SfIbdR会話2023年6月26日 (月) 08:58 (UTC)[返信]

多言語間リンクが間違っている[編集]

この記事はen:Defenduの日本語版なのに、なぜか他言語リンクではen:Defendoになっています。修正の必要があると思います。--Winterseagull会話2015年10月5日 (月) 15:09 (UTC)[返信]

異論が無いようですので多言語間リンクを修正しておきました。--Winterseagull会話2015年10月27日 (火) 05:09 (UTC)[返信]