スエズ運河の自由航行に関する条約
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スエズ運河の自由航行に関する条約 | |
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通称・略称 | スエズ運河条約 |
署名 | 1888年10月29日 |
署名場所 | イスタンブール |
発効 | 1888年12月22日 |
締約国 | イギリス・ドイツ・オーストリア=ハンガリー帝国・スペイン・フランス・イタリア・オランダ・ロシア・オスマン帝国 |
寄託者 |
イギリス ドイツ帝国 オーストリア=ハンガリー帝国 スペイン帝国 フランス イタリア王国 オランダ ロシア帝国 オスマン帝国 |
スエズ運河の自由航行に関する条約(英: Convention Respecting the Free Navigation of the Suez Maritime Canal)は、スエズ運河の地位を定める多国間条約である。
第1条は、平時および戦時においてスエズ運河をすべての船に対し開放する旨定め、締約国に対し、運河の自由な使用に干渉しないことを義務付けている。
概要
[編集]1869年に開通したスエズ運河は、1882年6月の反乱鎮圧以降、イギリスが向こう74年間も軍事占領した。
この条約は、欧州列強が運河の自由通航の保障を求め、締結された。原締約国はイギリス・ドイツ・オーストリア=ハンガリー帝国・スペイン・フランス・イタリア・オランダ・ロシア・オスマン帝国である。
1922年にエジプトが独立。1923年にはウィンブルドン号事件で条約が援用された。第二次世界大戦中には枢軸国の艦船が通航を拒まれた。1956年のスエズ危機(第二次中東戦争)では一時運河が封鎖された。英軍の撤退した7月26日にスエズ運河会社は国有化された。翌1957年4月24日、エジプトは条約の有効性を承認した。
1967年の第三次中東戦争による運河の閉鎖は1975年まで続いた。
条約
[編集]主な協定内容の摘録は以下の通り。イギリスは第11条を留保したまま条約を締結し、1904年の英仏協商成立までこの留保を続けた。
- スエズ運河は戦時及び平時を問わず常に国旗の区別なく商船又は軍艦に対し開放される。
- 戦時及び平時に於いて運河を自由に使用することに対し如何なる方法によっても干渉されない。
- 運河は封鎖の権利行使を受けない。(以上、第1条)
- 運河は交戦国軍艦に対してすら戦時自由通過のため開放され、戦争の権利もしくは敵対行為は運河及び使用港外三海里以内に於いてはトルコ帝国が交戦国の一つである場合といえどもこれを行わない。(第4条)
- 運河の自由航行の保障は在エジプト及び欧州各国代表者により監督される。(第8条)
- この条約の規定に違反する恒久的築城の構築を禁止する。(第11条)
- 締結されるべき如何なる国際協定に於いても、運河の領土的又は商業的利益又は特権を獲得することに努力しない。
- 領土国としてのトルコの権利を留保する。(以上、第12条)
構成
[編集]- 第1条-第3条 - 運河の地位
- 第4条-第7条 - 戦時における行為の規制
- 第8条 - 署名国の代表者による検証等の手続
- 第9条 - エジプト政府の義務
- 第10条・第11条 - オスマン帝国・エジプトによる兵力行使の規制
- 第12条-第15条 - 雑則
- 第16条・第17条 - 本条約の加入および批准