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ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル
Jules Joseph Lefebvre
生誕 (1836-03-14) 1836年3月14日
フランスの旗 フランス王国セーヌ=エ=マルヌ県トゥルナン=アン=ブリ英語版
死没 1911年2月24日(1911-02-24)(74歳没)
フランスの旗 フランス共和国パリ
国籍 フランスの旗 フランス
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ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル作、『プリアモスの死』(1861)、パリ国立高等美術学校
ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル作、『洞窟のマグダラのマリア』(1876)、エルミタージュ美術館

ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル(Jules Joseph Lefebvre, 1836年3月14日 - 1911年2月24日[1])は、フランスの人物画家。アカデミック美術を代表する画家の一人で、パリ国立高等美術学校やパリの私立美術学校、アカデミー・ジュリアンで多くの画家を教えた。

生涯

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パリに近いセーヌ=エ=マルヌ県のトゥルナン=アン=ブリで生まれた。父親はアミアンのパン屋で働いていた。地元の学校の美術教師に認められて、1852年パリ国立高等美術学校に入学し、レオン・コニエ(1794-1880)の下で絵を学んだ。豊かではなかった父親はアミアン市に奨学金を申請して認められた。1855年に初めてパリ・サロンに作品が受理され、その後、1898年までの43年間に、72点の人物画を出展した。1859年のローマ賞で2位になった後、1861年に、『プリアモスの死』でローマ賞を受賞し、ローマに留学した[2]

1878年のパリ・サロンで1等のメダルを受賞し、ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト皇太子(1874年)の肖像画も描いた。パリ万国博覧会にも出展した。1886年のサロンで名誉勲章を受賞した。レジオンドヌール勲章は1870年にオフィシエを受勲し1898年にコマンドゥールを受勲している[3]。1891年には、フランス芸術アカデミーの会員に選ばれた。

ルフェーブルは1870年にパリの私立の美術学校アカデミー・ジュリアンの講師になった。優秀にして思いやりのある教師としてアカデミーに欠かすことができない存在だった。多くのアメリカ人やイギリス人を含む、1,500人またはそれ以上の教え子たちの中がいて、代表的な画家にはウィリアム・ハートジョルジュ・ロシュグロスジョン・ノーブル・バーロウチャイルド・ハッサムフランク・ウェストン・ベンソンエドモンド・チャールズ・ターベルフェルナン・クノップフらがいた。パリ国立高等美術学校でも長く教授を務めた。

ルフェーブルの描く絵は、もっぱら1人の美しい女性を描いた人物画だった。

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ André Roussard dans son Dictionnaire des peintres à Montmartre (p. 365) donne comme année de décès 1911.
  2. ^ « La Mort de Priam [archive] », notices d'œuvres, sur Cat'zArts, Beaux-arts de Paris, l'école nationale supérieure (consulté le 26 août 2014) et Notice no 50510011474 , sur la plateforme ouverte du patrimoine, base Joconde, ministère français de la Culture
  3. ^ « Cote LH/1546/82 [archive] », base Léonore, ministère français de la Culture

参考文献

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  • Dictionnaire Bénézit.
  • Fernand Bertaux, Les Artistes picards, études sur MM. Hippolyte Berteaux, Louis Debras, Jules Lefebvre, Francis Tattegrain : peintres ; Emmanuel Fontaine, statuaire. Première série, Paris, E. Lechevalier, 1894, 33 p.
  • Dictionnaire biographique des hommes du Nord : Nord, Ardennes, Aisne, Somme, Pas-de-Calais et Oise. I, Les contemporains, Paris, Henry Carnoy, [1894], 57 p.
  • Arsène Alexandre, « Les morts d'hier : M. Jules Lefebvre », Le Figaro, 25 février 1912.
  • « Mort du peintre Jules Lefebvre », Le Petit Parisien, 25 février 1912.
  • « Mort de Jules Lefebvre », Gil Blas, 25 février 1912.
  • « Mort de Jules Lefebvre », L'Aurore, no 5212, 25 février 1912.
  • André Roussard, Dictionnaire des peintres à Montmartre ; peintres, sculpteurs, graveurs, dessinateurs, illustrateurs, plasticiens aux XIXe et XXe siècles, Paris, Éd. A. Roussard, 1999, p. 365 (ISBN 9782951360105).
  • Anna Zsófia Kovács, « L’Ondine de Jules Lefebvre : un nu académique français dans les collections du musée des Beaux-Arts », Bulletin du musée hongrois des Beaux-Arts, no 120-121, 2015-2016, pp. 147-164.

外部リンク

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