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ジェイソン・ジョンソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェイソン・ジョンソン
Jason Johnson
3Aラスベガス時代(2008年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンタバーバラ
生年月日 (1973-10-27) 1973年10月27日(51歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年
初出場 MLB / 1997年8月27日
NPB / 2007年3月25日
最終出場 MLB / 2008年9月26日
NPB / 2007年7月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジェイソン・マイケル・ジョンソンJason Michael Johnson , 1973年10月27日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタバーバラ出身の元プロ野球選手投手)。

来歴

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アメリカ時代

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コナー高校卒業後、1992年ピッツバーグ・パイレーツと契約。1997年8月27日の対ロサンゼルス・ドジャース戦の2回表に2番手として登板してMLBデビューを果たし、1イニングを投げて1失点だった。同年11月18日の拡張ドラフトにてタンパベイ・デビルレイズに移籍。1998年4月23日の対テキサス・レンジャーズ戦で先発登板し、5イニング1/3を投げて2失点でMLB初勝利をマーク。

1999年から2003年ボルチモア・オリオールズ2004年から2005年デトロイト・タイガースでプレー。2006年は、クリーブランド・インディアンスボストン・レッドソックスシンシナティ・レッズとチームを転々とする。

西武時代

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MLB通算成績55勝98敗、防御率4.99の実績を見込まれ、2007年1月12日にNPB西武ライオンズと推定年俸3億5,000万円で契約。松坂大輔の抜けた穴を埋める投手として期待をかけられたが、開幕直後の4月上旬に右ひじ靭帯痛のため一時帰国した。5月25日に再来日し、セ・パ交流戦で2か月ぶりのマウンドに立った。その後は先発ローテーションの一角として登板し、7月11日の対千葉ロッテマリーンズ戦でようやく来日初勝利を挙げた。しかし、7試合に登板し、1勝4敗、防御率4.35と目立った成績を残せず、10月に戦力外通告を受けた。

西武退団後

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2008年ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約。同年は、再びMLBに昇格した。2009年ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約したが、メジャー昇格はならず、同年8月6日に契約を解除された。2010年はどの球団でもプレーせず、2011年にアメリカ独立リーグアトランティックリーグに加盟するカムデン・リバーシャークスに入団したが、同年内に退団した。2012年はどの球団でもプレーせず、2013年にアメリカ独立リーグアメリカン・アソシエーションに加盟するアマリロ・ソックスに入団した[1]

プレースタイル・人物

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イニシャルレターから、愛称は「JJ(ジェージェー)」。198cmの長身から投げ下ろす150km/h前後のストレートナックルカーブスライダーチェンジアップをはじめとした多彩な変化球を武器とする本格派右腕。

11歳のとき、膵臓が破壊されインスリンの分泌ができなくなる1型糖尿病を発病し、以来糖尿病との闘いが続いている[2]。糖尿病と闘いながら第一線でプレーする選手として、学生時代から周囲の尊敬を集めている。MLB時代の2001年には、困難を乗り越えて活躍した選手に贈られる「トニー・コニグリアロ賞」を受賞した。かつてはインスリンの注射針をマウンドに持っていっていたが、2002年から腰のベルトにインスリンを投与する器具(インスリンポンプ)を装着している。これにより24時間自動でインスリンの調節が行えるようになった。このスタイルはMLB時代から続いていたものであり、NPBのパシフィック・リーグの審判団の許可も得ている。

アメリカ時代、プレー中にピッチャーライナーが腰に当たり、インスリンの注射針が外れてあわや大惨事というアクシデントがあった。西武時代の2007年6月30日には、練習中に血糖値が急激に下がり突然倒れ、チームメイトがオレンジジュースを口に含ませて事なきを得た。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1997 PIT 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 27 6.0 10 2 1 0 0 3 0 0 4 4 6.00 1.83
1998 TB 13 13 0 0 0 2 5 0 0 .286 274 60.0 74 9 27 0 3 36 2 0 38 38 5.70 1.68
1999 BAL 22 21 0 0 0 8 7 0 0 .533 515 115.1 120 16 55 0 3 71 5 1 74 70 5.46 1.52
2000 25 13 0 0 0 1 10 0 2 .091 501 107.2 119 21 61 2 4 79 3 0 95 84 7.02 1.67
2001 32 32 2 0 0 10 12 0 0 .455 856 196.0 194 28 77 3 13 114 9 0 109 89 4.09 1.38
2002 22 22 1 0 0 5 14 0 0 .263 561 131.1 141 19 41 2 6 97 4 0 68 67 4.59 1.39
2003 32 32 0 0 0 10 10 0 0 .500 858 189.2 216 22 80 8 10 118 7 0 100 88 4.18 1.56
2004 DET 33 33 2 1 0 8 15 0 0 .348 859 196.2 222 22 60 3 5 125 7 1 121 112 5.13 1.43
2005 33 33 1 0 1 8 13 0 0 .381 888 210.0 233 23 49 4 6 93 17 0 117 106 4.54 1.34
2006 CLE 14 14 0 0 0 3 8 0 0 .273 348 77.0 108 10 22 0 2 32 6 0 55 51 5.96 1.69
BOS 6 6 0 0 0 0 4 0 0 .000 141 29.1 41 3 13 0 2 18 2 0 26 24 7.36 1.84
CIN 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 38 8.2 11 1 0 0 1 4 0 0 5 3 3.12 1.27
'06計 24 20 0 0 0 3 12 0 0 .200 527 115.0 160 14 35 0 5 54 8 0 86 78 6.10 1.70
2007 西武 7 7 0 0 0 1 4 0 0 .200 176 41.1 44 4 10 0 2 19 3 0 20 20 4.35 1.31
2008 LAD 16 2 0 0 0 1 2 0 1 .333 130 29.1 32 5 12 3 2 20 3 0 19 17 5.22 1.50
MLB:11年 255 221 6 1 1 56 100 0 3 .359 5996 1357.0 1521 181 498 25 57 810 65 2 831 753 4.99 1.49
NPB:1年 7 7 0 0 0 1 4 0 0 .200 176 41.1 44 4 10 0 2 19 3 0 20 20 4.35 1.31
  • 2010年度シーズン終了時

記録

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NPB

背番号

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  • 36 (1997年)
  • 41 (1998年 - 2000年)
  • 16 (2001年 - 2003年、2006年 - 同年途中)
  • 21 (2004年 - 2005年)
  • 18 (2006年途中[3]
  • 52 (2006年途中 - 同年終了)
  • 30 (2007年)
  • 54 (2008年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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