クレーフェ公国
- クレーフェ伯国/公国
- Grafschaft (Herzogtum) Kleve
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← 1092年 - 1795年 → (国章)
1560年ごろのクレーフェ公国(赤色)-
公用語 南ゲルデルン語、ドイツ語 首都 クレーフェ - 伯・公
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1092年 - 1117年 ディートリヒ1世 1592年 - 1609年 ヨハン・ヴィルヘルム - 変遷
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成立 1092年 マルク伯領と統合 1391年 公国に昇格 1417年 ユーリヒ公国およびベルク公国と統合 1521年 ブランデンブルク辺境伯領に統合 1614年 フランスに併合 1795年
クレーフェ公国(独:Herzogtum Kleve [ˈkleːvə][1])クレーヴェ公国、またはクレーフ公国(蘭:Hertogdom Kleef)は、神聖ローマ帝国の領邦国家。その領域は現在のドイツ(ノルトライン=ヴェストファーレン州の一部)とオランダ(リンブルフ州、北ブラバント州、ヘルダーラント州の一部)に跨って存在した。公国はクレーヴェ(クレーフェ)を首都とし、領域はライン川両岸に広がっていた。おおよそ現在のクレーフェ郡 (en) 、ヴェーゼル郡 (en) 、デュースブルクに相当する。
歴史
[編集]クレーフェ伯領が史料で最初に登場するのは、11世紀のことである。伯爵領は1417年に公爵領に昇格した。クレーフェはユーリヒ公国、ベルク公国、ゲルデルン公国、マルク伯領といった近隣諸国と関係が深かった。1368年にはマルク伯領と合併している。1521年、ユーリヒ、クレーフェ、ベルクの3公国はユーリヒ=クレーフェ=ベルク連合公国を形成した。
1609年、最後のユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヨハン・ヴィルヘルムが子供のないまま死ぬと、ブランデンブルク選帝侯ヨーハン・ジギスムントとプファルツ=ノイブルク公フィリップ・ルートヴィヒが連合公国の継承をめぐってユーリヒ=クレーフェ継承戦争を起こした。両者は1614年にクサンテン条約を結び、プファルツ=ノイブルク公がユーリヒ=ベルク公国を、ブランデンブルク選帝侯がクレーフェ公国及びマルク伯領、ラーフェンスベルク伯領を手に入れた。しかし、ブランデンブルク選帝侯の統治するクレーフェ公国の大部分は1672年までネーデルラント連邦共和国に占領されていた。公国は1701年に成立したプロイセン王国の一部とされたが、七年戦争中の1757年から1762年まではフランスに占領されている。
1795年、クレーフェ公国の左岸地域とヴェーゼルはフランス共和国に占領され、フランス領ロール県 (en) の一部とされた。残りの地域も1803年から1805年にかけてフランスに征服され、フランスはこの地域をイッセル=スペリュール県 (en) と傀儡国家ベルク大公国に編入した。ベルク大公国に編入された部分は、1811年にフランス領リップ県 (en) の一部とされた。1815年にナポレオンが失脚すると、クレーフェ公国はプロイセン王国領ユーリヒ=クレーフェ=ベルク県 (en) (1822年にライン県 (en) に統合される)に編入された。ただしヘネプ、ゼフェナール (en) 、ハイッセンの3都市に関しては、1815年のウィーン会議の決定でネーデルラント連合王国領となった。
なお、クレーヴェ伯家とロレーヌ公家との姻戚関係により、ブラバントの「白鳥の騎士」の伝説がクレーヴェにもたらされ、クレーヴェ城が「白鳥城」(シュヴァーネンブルク、Schwanenburg)と呼ばれる由縁となっている[2]。コンラート・フォン・ヴュルツブルク(13世紀ドイツの詩人)は『白鳥の騎士』においてクレーヴェ伯家を、ゲルレ(ヘルレ)家の両伯、リエネク家とともに白鳥の騎士の血筋につながるとしている[3]。
歴代クレーフェ領主
[編集]クレーフェ伯
[編集]- クレーフェ家
- 1020年頃 - 1050年頃 ルトガー1世
- 1051年頃 - 1075年頃 ルトガー2世
- 1076年頃 - 1091年頃 ディートリヒ(2世)
- 1092年 - 1117年 ディートリヒ1世(3世)
- 1120年 - 1147年 アルノルト1世
- 1150年 - 1172年 ディートリヒ2世(4世)
- 1173年 - 1202年 ディートリヒ3世(5世)
- 1189年 - 1200年 アルノルト2世
- 1202年 - 1260年 ディートリヒ4世(6世)
- 1260年 - 1275年 ディートリヒ5世(7世)
- 1275年 - 1305年 ディートリヒ6世(8世)
- 1305年 - 1310年 オットー
- 1310年 - 1347年 ディートリヒ7世(9世)
- 1347年 - 1368年 ヨハン
- マルク家
1417年、クレーフェ伯は公爵に昇格する。
クレーフェ公
[編集]- マルク家
1521年以後、クレーフェ公国はユーリヒ=クレーフェ=ベルク連合公国の一部を構成する。
- 1417年 - 1448年 アドルフ1世 - クレーフェ=マルク伯アドルフ2世
- 1448年 - 1481年 ヨハン1世
- 1481年 - 1521年 ヨハン2世
- 1521年 - 1539年 ヨハン3世
- 1539年 - 1592年 ヴィルヘルム5世
- 1592年 - 1609年 ヨハン・ヴィルヘルム
系図
[編集]- クレーフェ伯
- クレーフェ公
ディートリヒ1世(3世) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルノルト1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ディートリヒ2世(4世) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ディートリヒ3世(5世) | アルノルト2世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ディートリヒ4世(6世) | ヘートヴィヒ (マイセン辺境伯ディートリヒ娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ディートリヒ5世(7世) | ディートリヒ・ルフ ザールブリュッケン伯 1255-1277 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ディートリヒ6世(8世) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アーデルハイト (マルク伯エンゲルベルト1世娘) | オットー | マルガレーテ (ゲルデルン伯ライナルト1世娘) | ディートリヒ7世(9世) | マリア (ユーリヒ伯ゲルハルト5世(7世)娘) | ヨハン | アグネス =ベルク伯アドルフ6世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イルムガルト | アドルフ2世 マルク伯 | マルガレーテ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エンゲルベルト3世 マルク伯 | アドルフ1世 クレーフェ伯 ゲルデルン公 マルク伯(3世) | マルガレーテ (ベルク伯ゲルハルト6世娘) | ディートリヒ1世 マルク伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アグネス (皇帝ループレヒト娘) | アドルフ1世 クレーフェ=マルク伯(2世) クレーフェ=マルク公 | マリア (ブルゴーニュ公ジャン1世娘) | ディートリヒ2世 マルク伯 | ゲルハルト マルク伯 | マルガレーテ =バイエルン公アルブレヒト1世 | エリーザベト =バイエルン公シュテファン3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エリザベス (ヌヴェール伯ジャン娘) | ヨハン1世 クレーフェ=マルク公 | ベアトリス (コインブラ公ペドロ娘) | アドルフ ラーフェンシュタイン領主 | マルガレーテ 1=バイエルン公ヴィルヘルム3世 2=ヴュルテンベルク伯ウルリヒ5世 | カタリーナ =ゲルデルン公アルノルト・ファン・エフモント | エリーザベト =シュヴァルツブルク伯ハインリヒ26世 | アグネス =ビアナ公カルロス | ヘレナ =ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公ハインリヒ2世 | マリア =オルレアン公シャルル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーリヒ=ベルク公家 | ヨハン2世 クレーフェ=マルク公 | マティルデ (ヘッセン方伯ハインリヒ3世娘) | フィリップ ラーフェンシュタイン領主 | エンゲルベルト ヌヴェール伯 ウー伯 | シャーロット (ヴァンドーム伯ジャン8世娘) | シャルロット ルテル女伯 (ヌヴェール伯ジャン娘) | ジャン・ダルブレ オルヴァル領主 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリア (ユーリヒ=ベルク公ヴィルヘルム4世娘) | ヨハン3世 ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公 | シャルル2世 ヌヴェール伯 ウー伯 | マリー・ダルブレ ルテル女伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アンナ =英王ヘンリー8世 | ヴィルヘルム5世 ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公 | フランソワ1世 ヌヴェール公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルブレヒト・フリードリヒ プロイセン公 | マリー・エレオノーレ | アンナ | フィリップ・ルートヴィヒ プファルツ=ノイブルク公 | ヨハン・ヴィルヘルム ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公 | フランソワ2世 ヌヴェール公 | アンリエット ヌヴェール女公 | ルドヴィーコ・ゴンザーガ=ネヴェルス ヌヴェール公 | ジャック ヌヴェール公 | ディアーヌ (ブイヨン公ロベール4世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アンナ | ヨーハン・ジギスムント ブランデンブルク選帝侯 クレーフェ=マルク=ラーフェンスベルク公 | ヴォルフガング・ヴィルヘルム プファルツ=ノイブルク公 ユーリヒ=ベルク公 | ゴンザーガ家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホーエンツォレルン家 | プファルツ家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出典
[編集]- ^ Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Duden. p. 467. ISBN 978-3-411-04066-7
- ^ 小栗友一訳 「ローエングリーン(中世ドイツ叙事詩)」 (6):名古屋大学言語文化部 『言語文化論集』 XVII, 2 (1996, 3), pp. 21-22. (公開されている電子版(無料閲覧)のキーワード:「名古屋大学言語文化部『言語文化論集』(11-20)」)。 - Thomas Cramer:Lohengrin. Edition und Untersuchungen. München: Fink 1971, S. 98-122.
- ^ 平尾浩三訳『コンラート作品選』郁文堂 1984(ISBN 4-261--07161-4)23頁。
参考文献
[編集]- 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年
- Jiří Louda, Michael Maclagan, Lines of Succession, Little,Brown & Company, 1981.
- Grafen und Herzöge von Kleve. Herausgegeben von den Freunden der Schwanenburg in Zusammenarbeit mit dem Städtischen Museum Haus Koekkoek, o. J.