クリフトン・ウィリアムズ
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ジェイムズ・クリフトン・ウィリアムズ・ジュニア(James Clifton Williams Jr., 1923年3月26日 - 1976年2月12日)は、アメリカ合衆国の作曲家、ホルン奏者。
前半生
[編集]クリフトン・ウィリアムズはアーカンソー州トラスクウッド(Traskwood)に生まれた。幼少時よりフレンチ・ホルン、ピアノおよびメロフォンの演奏を始め、リトルロック・セントラル高校在学時に同校の楽団で演奏を行っていた。最上級生の時、彼は同学年の600人の学生の中で最も芸術性・才能および多才さに優れた人物に投票で選ばれた。
ホルン奏者として、ウィリアムズはサンアントニオ交響楽団やルイジアナ・フィルハーモニー管弦楽団とともに演奏活動を行った。ウィリアムズはまた、陸軍航空隊の軍楽隊長も務め、余暇を利用して作曲活動を行った。
教育
[編集]ウィリアムズは1947年にルイジアナ州立大学の音楽学士課程に入学してヘレン・ガンダーソンに師事。次いで1949年にイーストマン音楽学校の音楽修士課程に入学、バーナード・ロジャースおよびハワード・ハンソンに師事した。
指導
[編集]1949年にウィリアムズはテキサス大学音楽学校の作曲科の教師となる。以後、彼は1966年までこの地で教鞭を執り、同年にマイアミ大学の音楽理論科・作曲科の教授に任命された。ウィリアムズはその後1976年に死去するまで同校の教授職にあった。彼に作曲を学んだ学生にはウィリアム・フランシス・マクベスやジョン・バーンズ・チャンスらがいる。
作品
[編集]クリフトン・ウィリアムズは活動初期にはオーケストラ向けの曲を作曲し、その後吹奏楽向けの作品で大きな成功を収めた。
主な作品一覧
[編集]- カッチアとコラール Caccia and Chorale
- 献呈序曲 Dedicatory Overture
- 交響組曲 Symphonic Suite
- 交響的舞曲 Symphonic Dances
- 第1番「コマンチ」 No. 1 (Comanche)
- 第2番「マスカーズ」 No. 2 (The Maskers)
- 第3番「フィエスタ」 No. 3 (Fiesta)
- 第4番「スクエア・ダンス」 No. 4 (Square Dance)
- 第5番「ニュー・ジェネレーション」 No. 5 (New Generation)
- ザ・シンフォニアンズ The Sinfonians
- ファンファーレとアレグロ Fanfare and Allegro
- フェスティヴァル Festival
関連項目
[編集]- フレデリック・フェネル - ウィリアムズが教授を行っていた頃のマイアミ大学の吹奏楽団指揮者。数曲の吹奏楽曲が彼の委嘱により作曲・編曲された。
- オストウォルド賞 - 「ファンファーレとアレグロ」が記念すべき第1回の、翌年「交響組曲」が第2回の受賞作となった。