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エジナウド・バチスタ・リバノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グラフィッチ
名前
本名 エジナウド・バチスタ・リバノ
Edinaldo Batista Libânio
愛称 グラフィッチ
ラテン文字 GRAFITE
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1979-04-02) 1979年4月2日(45歳)
出身地 ジュンジアイ
身長 189cm
体重 88kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1999-2000 ブラジルの旗 マトネンセ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001 ブラジルの旗 フェロヴィアリア 0 (0)
2001 ブラジルの旗 サンタクルス 22 (5)
2002 ブラジルの旗 グレミオ 6 (0)
2003 大韓民国の旗 安養LGチータース 9 (0)
2003 ブラジルの旗 ゴイアス 20 (12)
2004-2005 ブラジルの旗 サンパウロ 44 (17)
2006-2007 フランスの旗 ル・マン 51 (17)
2007-2011 ドイツの旗 ヴォルフスブルク 107 (59)
2011-2015 アラブ首長国連邦の旗 アル・アハリ 79 (63)
2015 カタールの旗 アル・サッド 9 (4)
2015-2016 ブラジルの旗 サンタクルス 46 (20)
2017 ブラジルの旗 アトレチコ・パラナエンセ 9 (0)
2017-2018 ブラジルの旗 サンタクルス 9 (0)
代表歴
2005-2010 ブラジルの旗 ブラジル 4 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

グラフィッチ(Grafite)ことエジナウド・バチスタ・リバノ(Edinaldo Batista Libânio、1979年4月2日 - )は、ブラジルサンパウロ州出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード

Kリーグ時代の登録名はバティスタハングル: 바티스타)[1]

経歴

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クラブ

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サッカーを本格的に始めたのは20歳の頃。それまではゴミ袋のセールスマンのアルバイトをしながら地元のチームでサッカーをたしなむ程度だった。ゴイアスEC時代の2003年にブレイクした。ブラジル選手権で、セカンドトップの役割を果たしながら20試合で12ゴールをあげた。サンパウロFCの目にとまり、そのまま移籍した。2005年のコパ・リベルタドーレスFIFAクラブ世界選手権優勝に貢献した。

2005年、コパ・リベルタドーレスキルメスAC戦で、相手のレアンドロ・デサバトが自身をマカーコ(ポルトガル語)呼ばわりしたと試合後抗議したため、デザバトはそのまま警察へとつれていかれた。そのニュースは世界中のマスコミでも取り上げられた。デザバトは2日後にブラジルへ来て事情説明すると約束し、アルゼンチンへ帰国した。

2006年1月にフランス・リーグ・アンル・マンUCに移籍し、欧州進出を果たした。

2007年8月31日にVfLヴォルフスブルクへ移籍した。2008-09シーズンはエネルギー・コットブス戦やシャルケ04戦でハットトリックを達成するなど、エディン・ジェコとのコンビで得点を量産した。ホームでのバイエルン・ミュンヘン戦では、ゴールキーパーを含めて3人を交わした後にヒールキックでボールをゴールに流し込む技巧を見せた[2]。最終的には28得点を記録し、得点王に輝くなどクラブ初のリーグ優勝に貢献した。この活躍により、キッカー紙が選出する年間最優秀選手に選ばれた[3]。2009年9月15日、初出場となったUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグ第1節PFC CSKAモスクワ戦でハットトリックを達成した[4]

代表

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2005年4月、ロマーリオの引退試合となったグアテマラとの親善試合でブラジル代表デビューした。ロマーリオと交代したのがグラフィッチで、1得点を奪った。ヴォルフスブルクでの活躍を受けて、2010年3月2日のロンドンでの親善試合アイルランド代表戦において、離脱したルイス・ファビアーノに替わって、5年ぶりにブラジル代表復帰を果たした。試合では後半途中から出場し、ロビーニョの2点目をアシストする活躍を見せた[5]

人物

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グラフィッチという愛称はポルトガル語で「鉛筆の芯」という意味。マトネンセ時代の監督が、エジナウドは色が黒くてひょろっと背が高く、教え子の「グラフィッチ」(エジナウドとは別人)に似ているという理由で命名した[2]。それまでは『ルーナ』という名前でプレーしていた(『ルーナ』では響きがかわいくて強さが感じられないことも理由のひとつだった)。

グレミオFBPAサンパウロFCでもともにプレーしたジョズエと仲が良く、家族ぐるみの付き合いがある。サンパウロ時代のチームメイトであるルイス・ファビアーノも親友のひとりである[2]

タイトル

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クラブ

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サンパウロFC
VfLヴォルフスブルク
アル・アハリ

個人

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個人成績

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国内大会

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯 期間通算
出場得点 出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 期間通算
2001 フェロヴィアリア
2001 サンタクルス セリエA 22 5 22 5
2002 グレミオ 6 0 6 0
韓国 リーグ戦 リーグ杯 期間通算
2003 安養LG Kリーグ 9 0 9 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 期間通算
2003 ゴイアス セリエA 20 12 20 12
2004 サンパウロ 38 17 38 17
2005 6 0 6 0
フランス リーグ戦 F・リーグ杯 期間通算
2005-06 ル・マン リーグ・アン 11 3 11 3
2006-07 34 12 34 12
2007-08 6 2 6 2
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 期間通算
2007-08 ヴォルフスブルク 23 ブンデスリーガ 24 11 4 1 28 12
2008-09 25 28 3 4 28 32
2009-10 30 11 2 1 32 12
2010-11 28 9 3 1 31 10
UAE リーグ戦 リーグ杯 期間通算
2011-12 アル・アハリ UAEリーグ 21 16 21 16
2012-13
通算 ブラジル セリエA 92 34 92 34
韓国 Kリーグ 9 0 9 0
フランス リーグ・アン 51 17 51 17
ドイツ ブンデスリーガ 107 59 12 7 119 66
UAE UAEリーグ 21 16 21 16
総通算 280 126 12 7 292 133

脚注

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  1. ^ 바티스타”. K League. 2023年11月6日閲覧。
  2. ^ a b c 「遅咲きのゴールハンター」、ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2009年11月5日号
  3. ^ msn産経ニュース (2009年8月4日). “グラフィッチ、独の年間最優秀選手に”. 2009年8月4日閲覧。
  4. ^ uefa.com (2009年9月15日). “グラフィチ3発、ボルフスが好発進”. 2009年9月15日閲覧。
  5. ^ スポーツナビ (2010年3月3日). “ブラジル、苦しみながらもアイルランドに勝利=国際親善試合”. 2010年3月3日閲覧。

外部リンク

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