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ウェイン・ラングレン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウェイン・ラングレン
Wayne Lundgren
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1982-04-21) 1982年4月21日(42歳)
身長
体重
6' 7" =約200.7 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム オーストラリア
WBC 2006年

ウェイン・ラングレンWayne Leslie Lundgren, 1982年4月21日 - )はオーストラリア出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

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マイナーリーグ時代

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2000年に、オーストラリア出身の元野球選手であり、マイナーリーグで監督を務めていたジョン・ディーブルを通しボストン・レッドソックスと契約、ルーキー級GCLレッドソックス英語版に入団しプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた。

以降は2003年サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下A級オーガスタ・グリーンジャケッツ英語版に移籍、同年中に再度レッドソックス傘下に戻りA級ショートシーズンローウェル・スピナーズ英語版と渡り歩き、2004年にはセントルイス・カーディナルス傘下のマイナーに移籍した。 カーディナルス傘下ではキャリア初めてのA+級となるパームビーチ・カーディナルス英語版、同A級ピオリア・チーフスとプレー、翌2005年まで在籍するも同年シーズン中にヒューストン・アストロズ傘下A級スイング・オブ・ザ・クアッドシティーズ英語版へと移籍する事となった。 2006年シンシナティ・レッズ傘下へと移籍し、A+級サラソタ・レッズ英語版、同A級デイトン・ドラゴンズでプレーした。 その後、2006シーズン中に北米の独立リーグカナディアン・アメリカン・リーグ(CAMA)」のブロックトン・ロックスに入団し、マイナーリーガーとしてのキャリアを終えた。

また、同年開催された2006 ワールド・ベースボール・クラシックオーストラリア代表として選出された。 2007年には来日し、社会人野球チーム岩手21赤べこ野球軍団に加入、主に抑え投手として1シーズンプレーしている。

独立リーグ時代

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その後再び渡米しCAMAの古巣ブロックトン・ロックスへと再入団、それと平行し本国オーストラリアで開催される州別対抗大規模アマチュアリーグ「クラクストン・シールド英語版」にニューサウスウェールズ州から参加した。 クラクストン・シールドにおいては2008-09シーズン、2009-10シーズンと安定した成績を残し、特に2009-10シーズンではMVPを獲得する活躍を見せ、後の「オーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)」への移籍につながる足がかりとなった。

ABL時代

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2010年まではCAMAと、ウィンターリーグに近い性質のクラクストンシールドとを掛け持ちしプレーしていたが、2010年に本国オーストラリアでのプロ野球リーグとしてABLが開幕するとシドニー・ブルーソックスへと移籍し、以降ABLのみでプレーする事となった。移籍初年度にはリーグ優勝を経験し、チームの中心を担った。

2014年にMLBの公式戦がオーストラリアで開催され、ロサンゼルス・ドジャースアリゾナ・ダイヤモンドバックスの開幕シリーズがシドニーで行われた。 その際、両チームとオーストラリア代表との親善試合が組まれ代表に選出、マイナーリーガー時代に叶わなかったMLBトップチームとの対戦が実現する事となった。自身はダイアモンドバックス戦に登板し、5回を投げ無失点、チームも5対0と大勝した[1]

引退

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2016年、1月24日のメルボルン・エイシズ戦に先発、5回1/3を投げてプロ野球選手としてのキャリアを終えた[2]。最後の投球を終えた際にはチームメイトに迎えられ、観衆からはねぎらいの拍手が起きた。また、シーズン後には本戦代表からは外れたものの、2017 ワールド・ベースボール・クラシック予選の代表に選出された。

脚注

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  1. ^ Team Australia upset Arizona Diamondbacks The Sydney Morning Herald online (2014年3月21日) 2015年1月26日閲覧
  2. ^ Blue Sox end season with thrilling win The ABL.com (2016年1月24日) 2015年1月26日閲覧

外部リンク

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