イギリス保護領ナイジェリア
- ナイジェリア植民地及び保護領(1914年-1954年)
ナイジェリア連邦
(1954年-1960年) - Colony and Protectorate of Nigeria
(1914 ‐ 1954)
Federation of Nigeria
(1954 ‐ 1960) -
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←1914年 - 1960年 → (国旗) (国章) - 国歌: God Save the Queen(英語)
女王陛下万歳
地図中の赤がナイジェリア-
言語 英語
ヨルバ語
ハウサ語
その他の言語宗教 キリスト教
イスラム教
その他の宗教首都 ラゴス - 君主
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1914年 - 1936年 ジョージ5世 1936年 - 1936年 エドワード8世 1936年 - 1952年 ジョージ6世 1952年 - 1960年 エリザベス2世 - 総督
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1914年 - 1919年 フレデリック・ルガード 1955年 - 1960年 ジェームズ・ウィルソン・ロバートソン - 面積
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1924年 872,050km² 1952年 876,953km² - 人口
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1924年 18,500,000人 1952年 31,156,027人 - 変遷
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設立 1914年1月1日 独立 1960年10月1日
通貨 西アフリカ・ポンド
(1914年 - 1958年)
ナイジェリア・ポンド
(1958年 - 1960年)現在 ナイジェリア
カメルーン
イギリス保護領ナイジェリア(イギリスほごりょうナイジェリア、英語: Protectorate of Nigeria)は、イギリスの植民地及び保護領である。1954年から1960年の名称は、ナイジェリア連邦(ナイジェリアれんぽう、英語: Federation of Nigeria)。イギリスは1861年にラゴス植民地を併合し、オイルリバーズ保護領を成立させる。ニジェール地域におけるイギリスの影響力は徐々に増していったが、イギリスがこの地域を実質的に占領していたのは1885年までだった。ベルリン会議にてヨーロッパ列強も、この地域におけるイギリスの支配を承認した。
フレデリック・ルガード総督の要請によって、北部ナイジェリア保護領と南部ナイジェリア保護領は三つの地域(北部保護領、南部保護領、ラゴス植民地)の間で自治権を維持しながら、ナイジェリア植民地及び保護領として統合した。ナイジェリアの植民地支配は1900年から1960年まで続き、その後独立した。