ビジャ・デボート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビジャ・デボート
Villa Devoto
アルゼンチンの旗
サン・マルティン線のデボート駅
サン・マルティン線のデボート駅
ビジャ・デボートの市章
地区(バリオ)章
位置
の位置図
行政
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
 特別区 ブエノスアイレス
 コムーナ C11
 地区(バリオ ビジャ・デボート
地理
面積  
  地区(バリオ)域 6.6 km2
人口
人口 (現在)
  地区(バリオ)域 71,013人
    人口密度   11,000人/km2
その他
等時帯 ART (UTC-3)
郵便番号

ビジャ・デボート(Villa Devoto)は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス特別区の西部にある地区(バリオ)である。コムーナ11に属しており、人口は71,013人である。

地理[編集]

ロペ・デ・ベガ通り、ヘネラル・パス通り、サン・マルティン通り、フランシスコ・ベイロ通り、ホアキン・V・ゴンサーレス通り、バイゴリア通り、カンパーナ通りが他地区との境界である。上流階級が多い地区であるビジャ・デボート地区は落ち着いた並木通りに象徴され、「ブエノスアイレスの庭」とされることもある。デボートR(Residence)と呼ばれる低密度住宅地区には裕福な住民が居住している。ウルキサ線サン・マルティン線のふたつの近郊鉄道路線が地区を通っている。

歴史[編集]

地区の名称は、かつてこの地域の大部分を所有していたアントニオ・デボート伯爵に由来する。デボートはブエノスアイレスのエリートのひとりであり、第一次世界大戦中にイタリアを支援したことで、1916年にヴィットーリオ・エマヌエーレ3世イタリア王国第3代国王)から伯爵(Count)の称号を与えられた。1910年代初頭、デボートはデボート宮殿と呼ばれるブエノスアイレスでも最大級の大邸宅を所有しており、ウンベルト1世(イタリア王国第2代国王)がブエノスアイレスを訪れた際にはデボート宮殿に滞在した。この邸宅はイタリア人建築家のフアン・アントニオ・ブスチアッツォによって建てられ、1万m2をも占有した。邸宅にはイタリアで鍛造された金細工品に彩られた青銅、銀、金などや、フィレンツェ製のモザイクなどが飾られた。伯爵の称号を与えられてから数ヶ月後の1916年、ブスチアッツォの仕事が終わる前にデボートは死去した。彼は子孫を残しておらず、彼の遺骨はビジャ・デボート地区にあるサン・アントニオ・デ・パドゥア教会堂に安置された。

スポーツ[編集]

ビジャ・デボート・スポーツアリーナ

サッカークラブのCAヘネラル・ラマドリーはビジャ・デボート地区に本拠地を置いており、プリメーラB・メトロポリターナ(3部)などに所属している。

関連人物[編集]

以下の人物はビジャ・デボート地区に居住していた経験がある。

外部リンク[編集]

座標: 南緯34度36分 西経58度31分 / 南緯34.600度 西経58.517度 / -34.600; -58.517