黒岩恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒岩恒
生誕 1858年8月8日
日本高知県高岡郡佐川町
死没 (1930-05-25) 1930年5月25日(71歳没)
日本
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

黒岩 恒(くろいわ ひさし、1858年8月8日 - 1930年5月25日)は、日本の教育者、博物学者沖縄の生物研究で功績を残しており、尖閣諸島の命名者としても知られている。

略歴[編集]

高知県高岡郡佐川町に生まれた。1892年沖縄尋常師範学校に赴任した。沖縄の動植物を研究し、『琉球教育』誌に『沖縄の博物界』を連載した。クロイワランクロイワザサクロイワトカゲモドキクロイワゼミなどの動植物を発見し、和名は黒岩に因んで命名された[1]。1897年に尖閣列島に渡り、『地学雑誌』に『尖閣諸島探検記』を発表した[1]。実業家の古賀辰四郎の依頼により、魚釣島など周辺の島々を調査し、「尖閣諸島」を命名したほか、山や渓流にも名前を付けていた。1902年から名護市の国頭農学校の校長を務めた。1915年に沖縄を離れ和歌山に移った[1]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c 『植物文化人物事典』大場秀章(編集)出版社: 日外アソシエーツ (2007年4月) ISBN 4816920269

関連項目[編集]