雄平

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高井雄平から転送)
雄平(高井 雄平)
東北楽天ゴールデンイーグルス 二軍打撃コーチ #84
ヤクルトでの現役時代
(2014年4月13日 横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県川崎市宮前区
生年月日 (1984-06-25) 1984年6月25日(39歳)
身長
体重
174 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手外野手
プロ入り 2002年 ドラフト1巡目
初出場 2003年4月22日
最終出場 2021年11月1日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
派遣歴
コーチ歴

雄平(ゆうへい、本名・旧登録名高井 雄平〈たかい ゆうへい〉、1984年6月25日 - )は、神奈川県川崎市宮前区出身の元プロ野球選手投手外野手、左投左打)、プロ野球コーチ

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

川崎市立有馬中学校から宮城県仙台市東北高等学校に進学する。高校時代は「高校ナンバー1の左腕投手」として、日本はもとよりメジャーリーグ(MLB)球団のスカウトからも注目された。東北高校の若生正廣監督からは、「投げては後藤伸也以上、打っては嶋重宣以上」という表現で、プロ入りした先輩2人と比較されるほどの潜在能力の高さを評された(全国的注目度が低かったが、仙台都市圏の同学年には名取北高岸孝之投手がいた)。現に、投手としてストレートで最速151km/h[1]を計測された一方で、打者として高校通算36本塁打を記録している[2]。また、2学年下の後輩にはダルビッシュ有がいた。

2002年のNPBドラフト会議1巡目で、投手として大阪近鉄バファローズヤクルトスワローズから指名。抽選によるヤクルトの独占交渉権獲得を経て、契約金1億円、年俸1200万円(金額は推定)という条件で入団した[3]。入団当初の背番号は16で、登録名は本名の高井雄平

プロ入り後[編集]

2003年には、4月22日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で一軍公式戦へのデビューを果たすと、6月11日の同カードで一軍初勝利。6月28日の対広島東洋カープ広島市民球場)戦では、5回4失点10奪三振で勝利投手になった。一軍公式戦全体では、27試合の登板で5勝6敗を記録。防御率は5.03で、セントラル・リーグ最多の12暴投を記録した。

2004年には、シーズン前半を二軍で過ごした影響で、一軍公式戦への登板は9試合にとどまった。しかし、後半に一軍へ昇格すると、先発で4勝を挙げた。

2005年には、開幕を初めて一軍で迎えるとともに、前年後半に続いて先発陣の一角を担った。4月3日の阪神タイガース戦(大阪ドーム)では3回表の初打席で能見篤史からバックスクリーンに放つプロ初本塁打を放つ。しかし、その直後に打ち込まれ敗戦投手となる。また、その後の試合でも与四死球の多さが災いして、6月に二軍へ降格し、シーズンを終える。

2006年には、自身の背番号を22に変更した。MLBのロサンゼルス・ドジャースへ移籍していた石井一久の復帰に伴って、石井が復帰前に着用していた背番号16を希望したことによる。一軍公式戦では主に救援要員として36試合に登板したが、防御率は自己ワーストの6点台(6.51)にまで達した。6月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、7回表二死一・二塁の局面で登板したところ、福浦和也に投じた初球が福浦の側頭部を直撃。この投球が危険球と判定されたため、わずか1球を投げただけで退場処分を受けた。一軍公式戦でシーズン唯一の先発登板になった10月12日の対横浜ベイスターズ戦(明治神宮野球場)では、1回表に先頭打者・石井琢朗四球で出塁させ、3番打者・内川聖一に対しては3つの暴投を記録。1イニング3暴投NPB一軍公式戦最多タイ記録を達成したばかりか、石井を一塁からノーヒットで生還させる羽目になった。

2007年には、高津臣吾の背番号を11から以前着用していた22へ変更したことに伴って、自身の背番号を41に変更。制球力を上げる目的で、投球フォームもノーワインドアップからセットポジションに変更した。一軍公式戦では、救援陣で唯一の左投手として、チームおよび自身最多の52試合に登板。7月16日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で一軍公式戦初セーブを挙げたほか、15ホールドポイント(3救援勝利12ホールド)を記録した。ショートリリーフ中心の起用ながら、防御率は5.19にまで到達した。通算で6敗を喫したほか、シーズン終盤には一軍から遠ざかった。

2008年には、新任監督の高田繁の方針で、先発要員としての調整を再開。増渕竜義由規加藤幹典らと一軍の先発ローテーション入りを争った。しかし、課題の制球難を克服できず、最大の持ち味であったストレートの球速も140km/hを下回るなど、極度の不調に見舞われた。結局、一軍公式戦への登板は1試合(投球イニング2/3回)だけで、シーズン終盤の9月下旬から鬼崎裕司と共にハワイ・ウィンターリーグのワイキキ・ビーチボーイズへ派遣された。

2009年には、投球フォームを大幅に改造したが、前年に続いて一軍公式戦への登板は1試合にとどまった。イースタン・リーグの公式戦でも振るわなかったことから、シーズン終盤の9月30日には、フェニックスリーグから野手に転向することを首脳陣から打診。高井自身は、打診を一旦了承しながらも、後にサイドスローへの転向による投手の継続を直訴した。しかし、シーズン終了後の秋季キャンプ中からは、野手としての練習を本格的に始めている。

2010年には、一軍公式戦への出場機会はなかったが、イースタン・リーグの公式戦で規定打席に到達。打率.283、4本塁打、35打点という成績を残した。

2011年には、登録名を名前だけの「雄平」に変更。イースタン・リーグでは、開幕から7月中旬までに、打率.348、5本塁打、24打点という好成績を残していた。その間に打率トップの座を維持していたことも背景に、オールスターゲーム直前の7月11日には、野手として初めての出場選手登録を果たした。実際には一軍公式戦での野手デビューに至らなかったが、イースタン・リーグ公式戦では、規定打席に到達した打者ではトップの打率.330を記録した[4]

2012年5月1日 横浜スタジアムにて

2012年には、野手として初めて開幕を一軍で迎えると、巨人との開幕カード第2戦(東京ドーム)に代打で出場。野手転向後の一軍初安打を記録。5月に出場選手登録をいったん抹消されたが、9月に一軍へ再び昇格すると、シーズン終了まで「1番・中堅手」に定着した[2]

2013年には、3月30日の対阪神タイガース戦(神宮)で藤浪晋太郎から6回裏の打席で野手転向後初であり自身8年ぶりとなる本塁打を放つなど、開幕から外野手のレギュラーとして一軍で活躍[5]。しかし、13試合目の出場になった4月17日の対中日戦(神宮)で、外野守備中にジャンピングキャッチ後の着地で右膝を負傷。その後の診断で右膝前十字靱帯を断裂していることが判明した[6]ため、5月10日に靱帯の再建手術を受けた[7]上で、残りのシーズンをリハビリに費やした。

2014年には、開幕から一軍に復帰。当初は「2番・中堅手」として起用されていた[8]が、打線の組み替えによって、すぐに5番打者へ定着した。4月終了時点で打率は.224だったが、外野手出身の小川淳司監督からの助言をきっかけに、フルスイングを心掛けたことで徐々に復調[9]。5月28日の対北海道日本ハムファイターズ戦(神宮)では、先発投手として登板した大谷翔平から2本の本塁打を放ったことで、シーズンの通算本塁打数が自身初の2桁(10本)に到達した[10]。同月は、打率.364、8本塁打、19打点、長打率.646という好成績で、月間MVPを初めて受賞[11]。投手として同リーグの一軍公式戦へ登板した後に野手へ転向した選手の受賞は、1993年9月の仁村徹(中日)以来2人目であった[12]。7月には、故障で戦線を離脱したウラディミール・バレンティンに代わって4番を務めた[13]ほか、セントラル・リーグの監督推薦選手としてオールスターゲームにプロ入り後初めて出場した[14]。一軍公式戦全体では、141試合の出場で、打率.316、23本塁打を記録。外野手として、セ・リーグのベストナインにも初めて選ばれた。シーズンオフの契約交渉では、2度にわたる交渉の末にこの年のNPBで最高の昇給率(380%)による年俸(推定6000万円)で契約を更改した[15]

2015年には、オープン戦の期間中に開かれた「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」で、野球日本代表のトップチームに初めて招集[16]。3月10日の第1戦に「7番 中堅手」で先発出場した[17]。3月11日の第2戦には途中出場している[18]。レギュラーシーズンでは、「4番・中堅手」として一軍公式戦の開幕を迎えた。後に4番を外れるなど、シーズン全体の成績は低調。打率(.316→.270)、本塁打(23→8)、打点(90→60)のいずれも、前年を大きく下回った。しかし、10月2日の対阪神戦(神宮)では、同点で迎えた11回裏二死一・三塁の打席で能見篤史から安打を記録した。チームはこの適時打によるサヨナラ勝利で、14年ぶり7度目のセ・リーグ優勝を決めた。ポストシーズンでは、クライマックス・シリーズ4試合で打率.333を記録するなど打撃が好調で、チームの日本シリーズ進出に貢献。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも5試合に出場したが、打率が.150と振るわず、チームもシリーズ制覇を逸した。レギュラーシーズン中の7月16日には、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された[19]が、後の選考に残らなかったため日本シリーズ終了後のプレミア12には出場していない。

2016年には、一軍公式戦の開幕を「5番・右翼手」として迎えたが、左側腹部筋挫傷で7月27日に出場選手登録を抹消。9月上旬から一軍へ復帰したものの、セ・リーグの規定打席には若干及ばず、打率3割にもわずかに届かなかった。

2017年には、一軍公式戦の開幕から40試合で4番打者を任されるほど好調だった。しかし、6月28日の対巨人戦(福島県営あづま球場)の打席でファウルを放った際に、右手の有鈎骨を骨折[20]。チームのシーズン最終戦で一軍公式戦へ復帰したが、一軍公式戦への出場は71試合、本塁打は2本にとどまった。打席数もセ・リーグの規定打席を大幅に下回ったが、3シーズンぶりに打率3割(.306)を記録している。

2018年には、MLBへ移籍していた青木宣親が8シーズンぶりにチームへ復帰。春季キャンプ中には、青木を中堅手として起用することを前提に前年の正中堅手・坂口智隆と並んで一塁手へのコンバート候補に挙げられていた[21]。レギュラーシーズンでは、「5番・右翼手」の座を堅持し、左投手の先発が予告された試合にスタメンを外れながらも、一軍公式戦には124試合への出場で、3年ぶりにセ・リーグの規定打席へ到達した。さらに、4年ぶりの2桁本塁打(11本)と自己最高の打率.318を記録。得点圏打率も、リーグ2位の.356にまで達した。シーズン終了後の契約更改では、入団16年目(打者転向9年目)で初めて1億円で更改した。投手としてNPBの球団に入った選手の年俸が、野手転向後に1億円まで達した事例は石井琢朗・福浦和也糸井嘉男に次いで雄平が4人目である[22]

2019年は6月、7月にスタメンから外れる試合もありながら131試合に出場、打率.273、12本塁打、56打点を記録し年俸は現状維持となる1億円でサインした[23]。また、雄平と自主トレをする「雄平組」と言うチームを結成したことを明かした[24]。メンバーは雄平の他に大村孟松本直樹太田賢吾渡邉大樹松本友の6人[25]

2020年は43試合の出場に留まる。年俸は2500万円減となる7500万円でサインした[26]

2021年は一軍出場が無いまま、9月29日に現役引退を発表した[27]。引退に際して雄平は球団関係者、ファン、家族への感謝の気持ちを表し、思い出の打席として2015年10月2日の対阪神戦のリーグ優勝を決めたサヨナラ安打を挙げた[28][29]明治神宮野球場で行われた11月1日のシーズン最終戦(対広島)が引退試合となり、5回裏終了時には雄平の引退セレモニーが行われた後[30]、6回表から右翼手として途中出場し、7回裏の第一打席では森浦大輔から左前安打を記録[31]。8回裏の最終打席は島内颯太郎と対戦してニゴロに終わった[31]。試合後には5度胴上げされた[32]

引退後[編集]

2021年11月8日、2022年東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍打撃コーチを務めることが発表された[33][34]。背番号は842023年は一軍打撃コーチとなったが[35]、5月25日時点でリーグワーストとなるチーム打率.209や121得点を記録し、5月26日に今江敏晃と入れ替えで、二軍打撃コーチに配置転換された[36]

選手としての特徴[編集]

投手時代には左腕からストレートで最速154km/h[37]を計測した速球派投手で、スライダーカーブフォークといった変化球も投げていた。プロ入り後は制球難に悩まされ、一軍公式戦での登板試合では、1試合平均の与四球率が5.0を上回ったほか、死球暴投・悪送球を連発することが多かった。なお、雄平は打者転向後に「プロに入って驚いたのが、ストライクゾーン(が極端に狭くなったように感じられること)」と述懐している。投手時代の晩年には、上述のようにストレートの球速が落ちて、得意のスライダーまで思うように曲がらなくなるほど、投球の感覚が鈍っていたという[2]

野手としての能力も非常に高く、プロ入り後も投手時代に公式戦で本塁打を放つほど、非凡な打撃センスを持ち合わせていることから2009年のフェニックスリーグには投手登録のまま外野手として出場。リーグ閉幕後の秋季キャンプから、外野手へ正式に転向した。もっとも、7年間のブランクは想像以上に大きく、転向当初は「ど真ん中(のストレート)を普通に振っているのに(バットに)当たらなかったので、とにかく(練習でバットを)振りまくった」という[2]

ヤクルトで野手転向4年目の2012年には、外野手登録のまま救援投手にも起用する「二刀流」の構想があることが一部で報じられた。翌2013年からNPB一軍公式戦の延長時間制限が撤廃されることも見越した構想で、当時の小川淳司監督から「二刀流」での起用を打診されたこともある。実際には「野手としてのプレーに専念したい」との理由で打診を固辞したため、転向後の公式戦に投手で起用されたことはない[38]

手動計測ながら、50m走で最速5秒8を記録するなど俊足の持ち主でもある[39]。守備面では、元投手らしい強肩を武器とした守備を披露する。

背番号については、結果的に野村克也若松勉の両監督時代の功労者である石井一久(16)・高津臣吾(22)・稲葉篤紀(41)の3人の背番号を着用した。

人物・家族[編集]

実父、実母は中学校の教師。兄・大輔はアクロバットダンサー大道芸人。タレントのベッキーは小学校・中学校の1学年先輩に当たる。このような縁から、ヤクルトへの入団が決まった際には、ベッキーから直筆サイン色紙が贈られている。

BREATHE宮田慧とは、中学生時代に所属していたリトルリーグのチームメイトで、雄平と同様に神奈川県内から東北高校へ進学した。このような縁から、ヤクルト入団後の2014年にはBREATHEの楽曲『Tomorrows』を登場曲に採用していた。

2015年までの応援歌の歌詞は『「高」き理想を目指して 熱き血潮を「井(わかし)」て 君よ「雄」々しく羽ばたけ 地「平」の彼方』と、カギ括弧内を合わせると、「高」「井」「雄」「平」と読める様になっていた(2016年から歌詞変更)。尚、この応援歌の原曲は桃太郎電鉄シリーズのサイコロ行進曲(桃鉄15版)であった。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2003 ヤクルト 30 35 30 2 6 2 0 0 8 4 0 0 5 0 0 0 0 15 1 .200 .200 .267 .467
2004 10 17 16 0 5 0 0 0 5 0 0 0 1 0 0 0 0 7 0 .313 .313 .313 .626
2005 18 18 13 1 2 0 0 1 5 2 0 0 4 0 1 0 0 9 1 .154 .214 .385 .599
2006 36 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2007 52 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2008 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2009 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2012 47 153 143 14 40 4 0 0 44 8 2 3 3 0 7 0 0 19 0 .280 .313 .308 .621
2013 13 43 37 6 11 4 1 2 23 3 0 0 0 0 6 0 0 10 0 .297 .395 .622 1.017
2014 141 597 547 97 173 28 3 23 276 90 10 2 1 0 48 0 1 103 11 .316 .372 .505 .877
2015 141 585 551 57 149 33 4 8 214 60 7 4 1 3 27 1 3 82 7 .270 .307 .388 .695
2016 108 436 412 44 122 20 0 7 163 55 7 1 1 2 21 2 0 51 9 .296 .329 .396 .724
2017 71 300 281 29 86 21 0 2 113 32 2 3 0 2 12 0 5 42 5 .306 .343 .402 .745
2018 125 482 446 50 142 19 1 11 196 67 6 1 0 2 33 5 1 62 13 .318 .365 .439 .804
2019 131 493 447 55 122 19 0 12 177 56 4 3 1 6 37 4 2 71 4 .273 .327 .396 .723
2020 43 113 103 6 23 4 0 0 27 9 3 0 0 3 6 0 1 23 2 .223 .265 .262 .528
2021 1 2 2 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500 .500 .500 1.000
通算:19年 969 3277 3030 362 882 154 9 66 1252 386 41 17 18 18 198 12 13 494 53 .291 .335 .413 .748

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2003 ヤクルト 27 17 0 0 0 5 6 0 -- .455 458 102.0 99 14 56 2 7 80 12 0 62 57 5.03 1.52
2004 9 8 0 0 0 4 2 0 -- .667 223 49.0 48 7 29 1 3 54 8 0 26 24 4.41 1.57
2005 18 11 1 0 0 4 4 0 0 .500 330 73.2 70 7 42 1 2 74 8 0 37 37 4.52 1.52
2006 36 1 0 0 0 2 1 0 5 .667 143 27.2 29 3 21 0 4 27 8 0 27 20 6.51 1.81
2007 52 0 0 0 0 3 6 1 12 .333 188 43.1 39 3 24 3 0 30 3 0 26 25 5.19 1.45
2008 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 5 0.2 1 1 2 0 0 0 0 0 1 1 13.50 4.50
2009 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 4 1.0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 1.00
通算:7年 144 37 1 0 0 18 19 1 *17 .486 1351 297.1 287 35 174 7 16 265 39 0 179 164 4.96 1.55
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す

年度別守備成績[編集]



投手 外野
























2003 ヤクルト 27 0 0 0 0 .--- -
2004 9 0 0 0 0 .--- -
2005 18 5 7 0 0 1.000 -
2006 36 2 7 3 0 .750 -
2007 52 3 8 0 0 1.000 -
2008 1 0 0 0 0 .--- -
2009 1 0 0 0 0 .--- -
2012 - 39 77 4 1 3 .988
2013 - 11 18 0 0 0 1.000
2014 - 139 316 3 7 1 .979
2015 - 140 254 8 3 2 .989
2016 - 104 192 7 2 2 .990
2017 - 69 104 3 2 0 .982
2018 - 120 175 4 4 1 .978
2019 - 118 198 2 2 1 .990
2020 - 30 52 1 1 0 .981
2021 - 1 0 0 0 0 .---
通算 144 10 22 3 0 .914 771 1386 32 22 10 .985
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
投手記録
打撃記録
その他の記録
  • 1試合4二塁打:2017年5月7日、対横浜DeNAベイスターズ9回戦(横浜スタジアム)※史上12人目
  • 一軍通算10勝以上でシーズン20本塁打(2014年)※藤村富美男以来59年ぶり4人目[40]
  • オールスターゲーム出場:2回(2014年 - 2015年)

背番号[編集]

  • 16(2003年 - 2005年)
  • 22(2006年)
  • 41(2007年 - 2021年)
  • 84(2022年 - )

登録名[編集]

  • 高井 雄平(たかい ゆうへい、2003年 - 2010年)
  • 雄平(ゆうへい、2011年 - )

脚注[編集]

  1. ^ “雄平、山口俊、濱田達郎から学ぶ 苦難を突破した男たちの成功哲学とは?”. スポーツナビ. (2014年6月21日). http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/baseball/npb/2014/columndtl/201406200006-spnavi 2014年8月12日閲覧。 
  2. ^ a b c d 月間MVP獲得!好調ヤクルト打線を支える雄平の波乱万丈野球人生”. スポニチ Sponichi Annex (2014年6月7日). 2014年6月7日閲覧。
  3. ^ 【ヤクルト】雄平の東北高時代…最速151キロ!高校通算36発!投打で活躍”. スポーツ報知 (2020年5月2日). 2021年6月4日閲覧。
  4. ^ 実際には、最終規定打席に3打席足りなかったものの、打率.345を記録していた楽天の銀次が、首位打者の例外規定によってタイトルを獲得。
  5. ^ 【阪神】藤浪初黒星「次回につなげたい」”. 日刊スポーツ (2013年3月31日). 2014年6月6日閲覧。
  6. ^ 【ヤクルト】雄平、靱帯断裂!今季絶望か”. 日刊スポーツ (2013年4月19日). 2014年6月6日閲覧。
  7. ^ 【ヤクルト】雄平全治1年、復帰は来季”. 日刊スポーツ (2013年5月10日). 2014年6月6日閲覧。
  8. ^ 小川監督、雄平に最強2番ジーター目指せ”. 日刊スポーツ (2014年3月20日). 2014年6月6日閲覧。
  9. ^ 雄平「まさか獲れるとは」 転向打者の月間MVPはセ2人目”. スポニチアネックス (2014年6月6日). 2015年1月13日閲覧。
  10. ^ ヤクルト雄平2発で大谷の白星消す”. 日刊スポーツ (2014年5月29日). 2014年6月6日閲覧。
  11. ^ 雄平が野手転向5年目で初の月間MVP”. 日刊スポーツ (2014年6月6日). 2014年6月6日閲覧。
  12. ^ 雄平 転向打者ではリーグ2人目の受賞”. デイリースポーツ (2014年6月6日). 2014年6月6日閲覧。
  13. ^ “ヤクルト最下位脱出の切り札は4番雄平”. 日刊スポーツ. (2014年7月4日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140704-1328279.html 2014年7月15日閲覧。 
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]