高井諭

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高井 諭
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県
生年月日 (1945-10-15) 1945年10月15日(78歳)
身長
体重
177 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1967年 ドラフト4位
初出場 1968年4月14日
最終出場 1968年4月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

高井 諭(たかい さとし、1945年10月15日 - )は、愛知県[1]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物[編集]

中京商業高校では、同期のエース三輪田勝利阪急)の控え投手であった。1963年の春季中部大会に出場。決勝で名商大付を降し優勝を飾るが、準決勝では先発として起用され、四日市工に完投勝利を記録している。夏の甲子園は五番打者、右翼手として出場。3回戦に進むが、井上健二(東映)、平岡一郎の二本柱を擁する横浜高に敗れる[2]。この大会では1回戦、2回戦にリリーフとして登板している。他の高校同期に下村栄二広島)がいた。オーバースローの本格派でシュートやカーブを武器とした。

卒業後は地元の名古屋商科大学へ進学。愛知大学リーグでは優勝に届かず2位2回にとどまる。リーグ通算49試合に登板し25勝15敗、防御率1.66、249奪三振。ベストナインと敢闘賞を1回ずつ受賞。1966年第1次ドラフト会議中日ドラゴンズから8位指名を受けたが、ドラフト翌日に在学中の名商大を中退していない事が発覚し、指名取消しとなった[3]。 その後、名商大を中退し、日本コロムビアへ入社。

1967年ドラフト会議サンケイアトムズから4位指名を受け入団[1]。公式戦では初登板で1アウトしかとれず自責点4を記録し、これが最初で最後の一軍マウンドとなったため、通算防御率108.00の記録が残った。1971年に現役引退[1]

引退後は名古屋市西区で「炉端焼き たかい」を経営している[4]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1968 サンケイ 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 5 0.1 4 1 0 0 0 0 1 0 4 4 108.00 12.00
通算:1年 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 5 0.1 4 1 0 0 0 0 1 0 4 4 108.00 12.00

記録[編集]

背番号[編集]

  • 24 (1968年 - 1970年)
  • 58 (1971年)

出典[編集]

  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、312ページ
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ B.B.MOOK156 スポーツ伝説シリーズ18「プロ野球ドラフト読本2000」51P、ドラフトミニ事件史、ベースボール・マガジン社、2001年、ISBN 978-4583611174
  4. ^ 【魚拓】【クックドア】ろばた焼たかい/ホームメイト

関連項目[編集]

外部リンク[編集]