関長道

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関長道
時代 江戸時代後期
生誕 文化12年1月15日1815年2月23日
死没 安政5年8月13日1858年9月19日
戒名 大憲院惟徳壮臨大居士
墓所 東京都港区白金台瑞聖寺
官位 従五位下但馬守備前守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶家定
備中新見藩
氏族 森氏関氏
父母 森長義:不詳
養父関成煥
兄弟 長国長道高辻以長室、貞子、南部信誉正室
正室牧野貞幹の娘
千菊、亭以、天留ら
養子長克
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関 長道(せき ながみち)は、備中国新見藩の第8代藩主。新見藩関家9代。

略歴[編集]

文化12年(1815年)1月15日、第5代藩主・関長誠の次男である播磨国三日月藩主・森長義の次男(4男との説もある)として生まれる。幼名は亀寿。通称は主計。

天保9年(1838年)8月16日、第7代藩主・成煥の養子となる。天保11年10月1日、将軍徳川家慶に拝謁する。天保12年(1841年)閏1月20日、養父成煥の隠居により、家督を継いだ。天保13年(1842年)10月29日、従五位下備前守に叙任する。

藩政に見るところはないが、家庭的に不幸だった。長男千菊ら4人いた男児はいずれも早世したため、先代・成煥の甥にあたる一門の長克に長女の亭以を娶わせることで跡継ぎとした。

安政5年(1858年)8月13日に死去した。享年44。跡を婿養子の長克が継いだ。

系譜[編集]