コンテンツにスキップ

関屋延之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関屋延之助

関屋 延之助(せきや えんのすけ / のぶのすけ、1888年明治21年)6月22日 - 1975年昭和50年)7月21日[1])は、日本の内務官僚。官選県知事弁護士

経歴

[編集]

石川県鹿島郡崎山村三室(現在・七尾市)出身。関屋助右衛門の四男として生まれる。第四高等学校を経て、1914年(大正3年)、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1913年(大正2年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。大学卒業後、内務省に入り和歌山県地方課に勤務、その後、同県那賀郡長となる。

以後、和歌山県警視滋賀県理事官京都府理事官、岐阜県警察部長、北海道庁拓殖部長、1931年(昭和6年)12月に新潟県書記官・内務部長などを歴任。

1932年(昭和7年)6月28日、山梨県知事に就任。1935年(昭和10年)1月、熊本県知事に転任。1936年(昭和11年)4月、新潟県知事に転じ、1938年(昭和13年)6月、兵庫県知事となる。1939年(昭和14年)4月、兵庫県知事を辞し退官した。

その後、日本百貨店組合理事長に就任。戦後、1947年(昭和22年)に弁護士として活動を始めた。墓所は多磨霊園(18-1-30)

脚注

[編集]
  1. ^ 『山梨百科事典 創刊120周年記念版』537頁。

参考文献

[編集]
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 『近現代日本人物史料情報辞典』吉川弘文館、2004年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 山梨縣編『山梨縣政五十年誌』昭和17年。
  • 『山梨百科事典 創刊120周年記念版』山梨日日新聞社、1992年。