金原亭世之介

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金原亭きんげんてい 世之介よのすけ
金原亭(きんげんてい) 世之介(よのすけ)
金原亭世之介定紋「裏梅」
本名 兒玉こだま 亜津志あつし
別名 浅茅あさじ与志寿朗よしじろう(日本舞踊 浅茅流)
其扇庵きせんあん金綾きんりょう(東都投扇興 其扇流)
皀角子さいかち
生年月日 (1957-12-29) 1957年12月29日(66歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
師匠 十代目金原亭馬生
金原亭伯楽
弟子 金原亭杏寿
金原亭駒平
名跡 1. 金原亭駒平
(1976年 - 1992年)
2. 金原亭世之介
(1992年 - )
出囃子 吉原雀
活動期間 1976年 -
家族 兒玉四郎(父、作曲家)
所属 落語協会
公式サイト オフィシャルサイト
受賞歴
NHK新人落語コンクール優秀賞(1985年)
NHK新人落語コンクール大賞(1990年)

金原亭 世之介(きんげんてい よのすけ、1957年12月29日 - )は、東京都清瀬市出身[1]落語家落語協会所属。所属事務所は桃花舎 [2]ソルトアース[3]→キングプロダクション。本名∶兒玉 亜津志

出囃子∶『吉原雀(文のたより)』。日本舞踊浅茅流の名取り「浅茅 与志寿朗」の名を持つ。俳人としては「かいぶつ句会」所属、俳号は「皀角子さいかち」。大正大学客員教授。

経歴[編集]

父はクラシック音楽作曲家兒玉四郎[1]。最初は高校卒業後は医師になりたいと防衛医科大学校を受験するも不合格となり、その後進路を落語家に転換した[1]

東京都立清瀬高等学校1976年4月卒業[1]後、十代目金原亭馬生に入門、前座名は「駒平」。

1980年6月に古今亭菊之助古今亭菊松古今亭志ん八と共に二ツ目に昇進。1982年、師匠馬生の死去により、兄弟子金原亭伯楽門下に移籍。二ツ目時代は『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』に下宿人の「良い下宿人」役で出演、同じく「悪い下宿人」役で当時大学生の小原正也(現・柳家喬太郎)と共演し、また『笑ってる場合ですよ』や『オレたちひょうきん族』などでも出演した宮崎美子の形態模写なども評判を取り、甘い顔立ちからアイドル落語家の一人と呼ばれていた。80年代にはシンガーソングライターとしてシングル・アルバムを発売した。

1985年に「NHK新人落語コンクール」優秀賞を、1990年に「NHK新人演芸コンクール」大賞を受賞。1991年、 テレビドラマ「赤い殺意」にレギュラー出演する。

1992年3月、古今亭菊春林家のん平と共に真打昇進、世之介に改名。1999年からはフィニッシングスクールの「ジョン・ロバート・パワーズ・スクール」で『コミュニケーション』の講師を務めた。2000年、うなぎのファーストフードショップ、鰻屋「名代宇奈とと」を考案し社長に就任するも、2003年に鰻屋「宇奈とと」を売却。

2015年2016年にかけて原田病とその治療の過程で糖尿病を発症、食事療法で快方に向かう[4]

活動[編集]

五代目円楽一門会両国寄席にも出演している。

著書[編集]

弟子[編集]

二ツ目[編集]

前座[編集]

天狗連[編集]

世之介の友人である日出郎を中心に、俳優・タレントなどを集めた「天狗連」(亭号でもある)を結成。命名・指導して、落語会を開催している[5]。志ん喜はここから世之介に正式に入門。

ほか 

元弟子[編集]

メディア[編集]

テレビ番組[編集]

映画[編集]

  • 二つ目物語(2022年、林家しん平監督、クロスロード)- 桜家王鏡 役

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 明星集英社)1984年9月号 p.114『僕たち萩本さんちの下宿人』
  2. ^ 生田悦子さん逝く”. 世之介のそばにおいでよ. ameba blog (2018年7月17日). 2018年7月17日閲覧。
  3. ^ https://archive.fo/OPqy
  4. ^ 菊池武顕 (2021年1月16日). “食の履歴書 金原亭世之介さん おいしい野菜こそが大切”. 日本農業新聞: p. 9. https://www.agrinews.co.jp/p52964.html 
  5. ^ 天狗連参る”. キングプロダクション. 2021年8月11日閲覧。
  6. ^ NHK特集 びんぼう一代〜五代目 古今亭志ん生〜”. NHKアーカイブス. 2021年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月10日閲覧。
  7. ^ NHK特集 びんぼう一代〜五代目 古今亭志ん生〜”. Ameba (2021年4月7日). 2021年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月10日閲覧。

外部リンク[編集]