近藤隆左衛門

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近藤 隆左衛門(こんどう りゅうざえもん、寛政3年(1791年) - 嘉永2年12月3日1850年1月15日))は、江戸後期の薩摩藩士。諱は泰龑(やすてん)。父は近藤泰盛

藩の町奉行・物頭を勤めていた。藩世子の島津斉彬の襲封を画策し、それに反する家老島津久徳お由羅派の暗殺を謀議したとの咎で、嘉永2年(1850年)高崎五郎右衛門らとともに出頭を命ぜられ、即日切腹させられた(謀議の真偽については不明)。隆左衛門は特に重罪とされ、士籍剥奪に加えて死後刑も処せられた。ちなみに士籍は子の金吉の代で回復した。